11月24日。

micabox2007-11-24

宮崎は今日も快晴。
高千穂秋元神楽は二年前にも見に行ったが、とてもいい雰囲気で好きになったことと、今年の6月に韓国・晋州の「東アジア仮面劇フェスティバル」に出演してもらったのでその御礼も兼ねてまた訪ねることにしたのである。10年前には猿田彦神社にも来てくれたし、縁も深い。

12時に西都を出発して途中、美々津の港で昼食。日本海軍発祥の地というでっかい記念碑が建っているが、なんてことはない、神武天皇がここから東征の船出をしたという伝承があるからだった。
3時頃、間に合うだろうかと心配しながら高千穂に着いて秋元神社に向かって走っていると、ほしゃどん(神楽をする人)が乗った軽トラの列に混ざることが出来た。高千穂神楽はおもに民家を使って行われるが、まず集落の神社で神迎えの神事をするのである。
衣装を着た人が荷台に立っている景色は面白い。そして後ろを見ると後ろからも軽トラが。軽トラは世界に誇る日本文化のひとつであることよ。

秋元神社に着くとすでに少年による舞が行われていて、それから猿田彦の面と鬼神面が本殿から出されて、本殿の周りを一周してから神社を出る。お囃子が奏される中、先頭は猿田彦で白装束の舞い手が四人続く。そのあとほしゃどんのリーダーである頭取が後ろ向きに舞いながら続くが、これはその後に続く鬼神を抑えているようだ。そしてその後からは他の神面の入った箱が二つ神輿として担がれて続いた。
昔はこのまま神楽宿へ向かったのだろうが、今はまた面は着けたまま軽トラに乗って山道を降りる。
神楽宿の手前からまた行列となり、家へ舞い込んでいく。集落の人たちは神輿の下をくぐって無病息災を願っていた。
このあと榊の葉を口にはさみ、息がかからないようにした人たちによって神面が神輿から祭壇に恭しく移された。

受付でまた「御神前」を奉納。高千穂神楽は地区によって様々だがここではプログラムと袋に入った小さな紅白餅をいただく。ここは尾八重のような売店もないし、弁当を食べるような場所もないのが、このあと何回かある食事タイムに食べ物を分けてもらうことが出来る。
いったんその食事休憩を取ってから6時過ぎにいよいよ神楽三十三番がスタート。神楽宿はもう人でいっぱいである。

五番目の「杉登」で入り鬼神が舞ったが、この面は行列にいた鬼神面でここではタケミカヅチということになっている。昇神の舞という解説があるがあらためて舞殿に現れたという感じである。そのあと修祓の神事が入り、祭司は高千穂神社の後藤宮司。実は後藤宮司は秋元神社の宮司でもあったのだ。玉串奉奠の依頼が僕にもあり、これは断るわけにはいかないのでありがたく参拝させていただく。ただ、見た目のいい服装にするためにジャンパーなどを脱いだので寒かったー!!

そして夕食。時刻は9時頃。煮染めが旨い!! 大根、厚揚げ、コンニャク、里芋、椎茸、そして焼酎。神事までは全体的に神妙な感じで、楽しいキャラが勢揃いのほしゃどんも真面目な顔をしていたが、このあとからは「祭り」の楽しさが前面に出てくる。「本花」という四人舞では二人が中学生。盆を採り物にしているのはたしか銀鏡神楽の「花の舞」にもあったし、花祭の「花の舞」にも盆の手がある。ここでも花と子供の関係あり?
0時過ぎにまた夜食。鶏雑炊にシシ雑炊。うめー。でもシシ雑炊はちょっと甘かった。

十二番目の「七鬼神」という演目は大国主命の子供七人がそれぞれ舞を舞って、父親に教わるというような演目で、中には面白おかしく舞う人もいてとても盛り上がる舞なのだが、去年は高見さんがこれを舞ったという話を聞き、「こりゃ来るぞー」と思って、少し前から酔いつぶれたフリをして寝ていたのだが、やはり「三上さん、七鬼神舞わんかー」と起こされてしまった。
一応遠慮したのだが、声がかかったかぎりはやはり断るわけにはいかないので覚悟を決めて「やります」と答える。そして酔いにまかせるしかないと思い焼酎をあおる。

ひとつ前の演目でほしゃどんの方へ行き、衣装を着ける。高千穂神楽は舞処の祭壇に向かって右がほしゃどんの控えるスペースで、笛太鼓のお囃子もここで奏される。左と正面が観客席なので、衣装を着たり面を着けたりという様子も丸見えだ。
ジーンズの上から袴をはくが、上はTシャツが見えてはまずいということですべて脱いで衣装を着けた。そして面を頭取から渡されるのだが、この時二拝二拍手をする。どんな舞をしようか思案するが、奇をてらってもいけないし、まあ「真似をしているな」と思ってもらえればいいと流れにまかせることにする。プチ神がかりになればよい。
7人のうちの6番目だったが、前の方の人が長押にぶら下がったりして大受けしていたので気楽になった。僕の順番が来て「えーい、ままよっ!」と舞処へ出てジタバタしていたら少し笑い声が聞こえたので少し安心。大国主が止めに入ってくれたのでさっさとやめる。この舞は全員が舞出て、また舞って帰るというもので帰りの舞もあったのだが、エアギターの真似をした以外はよく覚えていない。これはすべったかも。
「七鬼神」は二時過ぎに喉がカラカラで舞終わる。緊張が解けて「もう朝まで寝ちゃいたい」という感じ。しかしいい経験だった。ありがたいことである。

その後、実際に寝たり起きたり。デジカメの記録では4時から5時までと5時から8時までの写真がなかった。男女の絡みがある人気の演目の「ご神体」や、太鼓の上に逆立ちをする「八鉢」なども拍手で意識が戻るが見ることはなかった。そして獅子舞が出たときに「寝ちょるやつぁー起こせー」と頭をかまれ目を覚ます。そして朝食のあとに岩戸開き関係の演目が続いて、クライマックスの「戸取り」は10時頃だった。

それからフィナーレの演目に入っていくのだが、外に作られた外神屋からのばされた注連縄を切る三十二番目の「注連口」で出てきた神面が、神迎えと入り鬼神に使われた神面で、解説パンフでは手力男命となっているが、どうやらこの神楽で一番重要な面らしい。高見さんがほしゃどんに確認したところ昔から「諸塚さま」と呼ばれている面で、きっとここの「宿神」なんだな。秋元のある向山地区は諸塚山をご神体と仰ぐ信仰があると言うことだから、納得できる。
他の神面は演目によって使い方が年によって違うことがあるのだが、この鬼神面は「神迎え」と「入り鬼神」と「注連口」にしか使われることはないという。
高千穂神楽は幕末から唯一神道化が進んでいて、面を着けない演目の舞い手にも神様の名前が付くという特殊な部分があるのだが、その裏にはしっかりと「それ以前」が残っているのでそういうのを見つけるとうれしい。

12時になろうとする頃、最後の演目「雲おろし」が終わり、そのあと大量の餅が捲かれて今年の神楽は無事終了。そのあと我々はほしゃどんのひとりで韓国へ行ったときのリーダーのお宅へ招かれ、蕎麦やタケノコ寿司、骨付きイノシシの煮込み、などなどたくさんのご馳走をいただいた。そのほとんどが自家製ということで土地の豊かさに感激。このお宅は「もうここより上に家はありません」という山奥の奥の斜面にあるのだが家も新しく立派だし、このあたりは「限界集落」にはなっていない。やはり「高千穂」ブランドというものが大きいのかな。
でも、神楽をしている人たちのスピリットは高千穂も尾八重も変わらない。そして日本中変わらない。
やはりこれが神楽に惹かれる大きな理由のひとつなのだ。