愛知県北設楽郡東栄町

10年前から通っている布川の花祭に行って来た。行かなかった年は2004年だけなので9回目だ。
やみつきになって毎年通ってくるこういう人間は「花狂い」と呼ばれる。

この一帯で行われている花祭は冬至祭りの意味を持つ霜月祭りの湯立神楽なので多くの地区では11月とか正月に行うところが多いのだが、この布川地区だけ3月の第一土日に日程を変えていて、真冬より暖かいため、大きさのわりにはけっこう人が集まってきて、今年は僕が見た9回の中でももっとも人出が多かったかも知れない。

でも、来ている人は「花狂い」ではなく、「一度は見てみよう」と思って来る人がほとんどで、特に最近はリタイアした年代の「奥さん」グループが目立つ。ようするに「おばさん」が多い。
だって、夕方の湯立の神事あたりはあまり見る人がいないのだが、神事が終わる頃に現地に着いたら、もう座って見るエリアの半分はおばさんたちによって占められていた。
でも、このおばさんたちは朝までいることはなく、夜中の山場、子供たちによる「花の舞」や鬼が出てくる「山見鬼」を見たあたりで帰って行くから、そのあとは地元の人や「花狂い」が落ち着いて楽しめるかんじだ。

神事が終わって舞いが始まるまでに休憩があり、祭りの関係者は夕食を取る。一昨年から僕は会場のそばにあるMさんのお宅にお邪魔して夕ご飯と朝ご飯をいただくようになっているので、今年もお邪魔にしてごちそうになった。Mさんのお兄さんや同級生とかと一緒に話しに花が咲き、舞いが始まる時間になっても会場に行かなくて、WBCの野球も見ないでいろんな話しをした。結局会場にいったのは8時半頃だっただろうか。

僕は何年か前から神座(かんざ)という、花太夫さんが太鼓を叩き、お囃子の人が上がる結界の中で笛を吹かせてもらっているが、去年からボランティアサポーターが大勢神座に上がって笛を吹くようになったので、今年からは舞を舞う「舞処(まいど)」に降りて「せいと衆(祭りに参加する観客)」をやろうと思っていたので、9回目にして初めて舞処に降りた。

それまではよそ者だし、ビデオも取りたいし、ということがあって、舞処へ降りることはほとんどなかったのだが、ここ数年写真を撮るカメラマニアばかりが取り囲む舞処になっていて「うたぐら」を歌うせいと衆も少なくなっていたから、ひとつうたぐらに挑戦しようと決めていたのである。

ちょいと上がり込んで隅っこに荷物を置き、すぐに舞処に降りて「せいと衆」となる。酒が入っていい気分になった「せいと衆」は舞い子の邪魔にならないように取り囲み「テーホヘテホヘ」とか歌を歌ったり、かつては舞い子を励ましたり冷やかしたり、この時だけは許されるという悪口を行ったり、別名「悪態まつり」と言われたほど、祭りを盛り上げる重要な役目なのである。
で、この「悪口」はたいへん難しく、地元の人にしかできないものでもあるので、最近はほとんど聞かれなくて淋しい、と地元の人は言っていた。

さて、せいと衆や太鼓の叩き手が「うたぐら」を歌い始めると、それについて「うたぐら」を歌う。うたぐらは「神歌」と呼ばれる神楽にはなくてはならない歌で、基本的には短歌形式のもの。全国各地でそれぞれの歌い方があり、舞い手や太鼓の叩き手が祝詞のように歌うところが多いが「花祭」ではメロディーがついていて、これがすごくいいのである。

まず上の句の5-7-5の部分が歌われると、最後の5のところから歌い始めて下の句を歌い、下の句を繰り返して最後に「おーもーしーろ」というフレーズが付け足されることが多い。歌い方やメロディーが地区によって違うこともあり、覚えるのが難しい。
この晩もしばらく聞いてから、小声で参加、慣れてからはけっこう大きい声で歌った。うたぐらはいくつもあり紙に書いて張り出されているので、まだ覚えていない初心者は歌い出しの歌詞を聞いてどの歌なのかを探し出し、歌の文句を確認しながら歌う、という感じだろうか。

この日もあまりうたぐらを歌うせいと衆が多くなかったので、けっこうがんばった。歌い出したら僕だけ、みたいな時もあり、あせったが酔いも手伝ったので図々しくソロで歌った場面もあった。
ひとつの舞が1時間近くあるのでせいと衆も大変である。

舞処から抜け出し、外の休憩場で休みながら酒を飲んでいたら、僕がうたぐらを歌っていたときにそれをリードしていた太鼓の叩き手の人が声をかけてくれて「ついて歌ってくれてありがとう」と握手され、感激した。その人は別の地区の古戸というところの人で、「ヘルプ」で参加したようなのだが、きっと「布川は歌わないなあ」と思っていたのだろう、覚えてくれたのである。嬉しかった。

知り合いの御園のKさんからは資料をもらったり。ありがたかった。いつもすみません。
毎年来る斎藤吾朗画伯は日本人で唯一人、ルーブル美術館モナリザを模写できるという人なのだが、柔和で優しい。会うのが楽しみな人である。

そんなこんないろんな顔見知りと挨拶をしたり、またまたしつこく酒を飲んだりしているうちに午前2時くらいとなったが、最初の鬼の舞が終わったあたりで、やはり人は減った。
たぶん5時間くらいはやっていただろう「せいと衆」としては疲れたので、神座に上がって笛でも吹こうかと、そのへんに転がっている笛を手にしたらボランティアのおねえちゃんに止められた。その時もまだボランティアサポーター、っちゅう若い人たちが神座に大勢いたけれど、座っているだけで笛を吹いているのが少なかったから手伝おうと思ったのに。誰の笛かはわからないけど、おっさんが口を付けるのを気持ち悪いと思ったのだろうか。いつもは神座の笛は回し吹きなんだけどなあ…。

いじけているウチに寝てしまったらしく、気がついたら神座にあんだけいた若い連中がいなくなっていて、こんどはマジに笛の吹き手が足りない。
出番が来たと笛を吹き出したら急にお腹がすいてしまって、腹に力が入らなくて笛がちゃんと吹けない。誰のおにぎりかわからないけど、太鼓の横に食べ残しのおにぎりといなり寿司があったので失敬して食べてしまう。今度は怒られなかった。これが祭りさ。
そして食べながら笛を吹いたので時々ご飯つぶも飛ばしたりして。でも神座には三人くらいしかいないからこの時はだいじょうぶ。

結局最後まで、笛の吹けるお囃子の演目では吹き続けた。

なんか、名古屋の方の中学生の舞というのが差し込まれたりしたせいなどで進行が遅く、メインの「榊鬼」が出たのが朝の5時過ぎ。いつもより2時間以上押して10時近くに今年の祭りは終了した。

一足先にMさん宅に行ってこたつで少し寝て、あとから帰ってきた人たちと一緒に朝ご飯を食べて、まったりしていたら12時過ぎてしまった。今回が一番疲れたけれど、やっと「参加」することができて「せいと衆の初心者」になれた気がする。

なんか来年はもっと人が来そうな気がする布川の花祭。前半はMさん宅のこたつで過ごしそうな予感もするのである。