WBCの日本代表の試合に見た非日常的でトランシーな「祭り的空間」

今回のWBC、日本代表が優勝ということで盛り上がって終わった。「祭りのようだった」という言葉がよく聞かれたが、たしかに単なるお祭り騒ぎではない「祭り空間」のようなある種の非日常のトランシーな空間がそこにはあった。
MLB-WBCにとっては大きな興行ビジネスだけど、日本ではそれだけではなかった。私達には「祭り空間」を作る文化がある。特に人気スポーツである野球ではしばしばプレイに対し「神がかる」という表現が使われていて、今回怪我で参加できなかったが鈴木誠也に若者がつけた「神ってる」という言葉が流行したし、村上宗隆は「村神さま」と呼ばれる。
別のはやり言葉で言えば「ゾーンに入る」。これはスポーツ以外でも使われるが、集中力が極限に達することで能力が100%発揮できるし、時には「無我」の状態にもなるらしい。祭り空間というのもみんなで作ったゾーンと言ってもいいかもしれない。
 祭りは神を呼んで人と交流するものだが、そのはじまりは神のメッセージを受けることで、その方法の一つとして「神がかり」が重要だったから日本人には非日常のトランス空間を共有して神を感じ神を見るセンスが体内に流れているので、スポーツの特別の試合が祭りのようになるのではないか。
漫画のような映画のようなフィクションの世界が現実化して栗山監督からは「野球の神様のおかげ」というコメントがあった。そう、日本人は神をイメージして信じることによって神が生まれ、立ち現れてきたのだ。
娯楽がほとんどなかった何百年も前の日本人にとって神楽はめったにない「楽しいハレの日」で、そこには特別の芸能があり、特別の飲食があり、信仰、呪術があったので、神を感じるトランシーな「祭り空間」が生まれてきたのだが、現代では芸能や飲食は日常身近に存在するし、いろいろなイベントは神楽にとっては大きなライバルである。
神がかったようなアスリートのプレイは日々のストイックで厳しいトレーニングや自己管理の賜物で、我々のような凡人には出来ないことだけど、神楽の場に(一夜限りでも)氏子として参加して祭りのメンバー、当事者として祭り空間を作ることは可能だ。酔っ払うのでもいいのだ。なんとか神楽を存続させ、今回のWBCのような「祭り的空間」が生まれたときは「神楽みたいじゃないか!!」と言い続けよう。
今回アメリカのメディアが注目した日本チームのベンチの試合後のきれいな姿。試合中は祭壇のように参加できなかった鈴木選手と栗林選手のユニフォームを飾っていたし、これは無意識な「神送り」ではないかと思った。

#WBC日本代表 #神楽 #祭り
 

三河 足込花祭 山見鬼 2008