10月3日4日に浅草のアサヒアートスクエアで行われる「宮崎の神楽シンポジウム」のオススメ、その2。

トランシーな祭空間が生まれる神楽から「清々しさ」を感じるのは、目の前で繰り広げられている「芸能」が自己表現でなく、セルフレス、無我の境地になっているからでしょう。
それは何故か。神楽は呪術的芸能だからです。


太古の、自然信仰、祖先崇拝の祭から巫女の神憑りを経て、外来の祭祀文化や咒師猿楽などと関係しながらメディスンマンである修験者たちが陰陽道密教などの呪術の技法を駆使して編集してきた神楽の中で「あの世とこの世」「生と死」「見えるものと見えないもの」など、対立する概念の垣根を取り払うためには「自我」があっては出来ないのです。


舞人は舞っているうちに自我が消え、自分ではない何か、時には神となるように編集されているとも言えるでしょう。
そしてそこから生まれた両義性をもっともビジュアルとして表しているのが神楽の鬼神面です。

神であり鬼である存在は実りを与えてくれるけれど災いももたらす自然そのもの。先人たちのイマジネーションで様々な風貌で表現されてきました。
今回は九州民俗仮面美術館の高見乾司さんの面のコレクションが展示されるし、なにより村所神楽の鬼神(荒神)の舞などが目の前で見られるのです。