神楽VJ解説@みんたる

神楽のかんたんな解説          @みんたる 2010.11.05

 神楽(かぐら)は民俗学で分類されている芸能のひとつで、世界に類を見ない数の多さと多様な姿で存在している日本の神事芸能、民俗芸能である。都市部ではいま、祭りというと神輿や山車のイメージを持つ人が多いと思うが、全国には実にさまざまな形で祭りが行われている。そして神楽はその基本的な存在として、例えば宮崎県だけでも三百以上あり、全国ではその数は三千とも五千とも言われているのである。

 現在行われている神楽は「五穀豊穣の祈願や感謝」を目的としているという説明が多いが、神楽の語源は神が降りてくる依代(よりしろ)を神座「かみくら」と呼び、それが「かむくら」「かぐら」と変化したというのが定説になっていて、かつては神懸かりして「神託」を受けることが祭り-神楽の大きな目的だった。
 各地に残る神楽は中世に起源を求めるものが少なくないが、ほとんどの神楽が今の形に落ち着いたのは江戸時代以降だと考えられている。その形を簡単に言うと「神を迎える祭場を作り」「祭場を浄め」「神を招き」「神を慰撫し」「神と共に飲食をし」「神託をもらい」「神を送り返す」というのが基本的なプロセスになっている。しかし、これにつながる祭祀は太古から行われていて、神を招いて歌い踊ったシャーマニスティックな「神遊び」や、太陽の復活に魂の再生を重ねて祈った「冬至まつり」、神道の「鎮魂祭」などに、各時代に渡来した宗教の祭祀文化の「おまじない」や、地域それぞれの個性が混ざり合って、百花繚乱の様相を見せているのが現在の神楽なのである。

 冬至は太陽が一年で一番弱まる日で、再び日が長くなっていくのだが、古代の人はこれに魂や生命力の再生をなぞらえた冬至まつりをしていて「霜月祭り」と呼ぶようになった。そして現在も冬場にはこの霜月祭り系の神楽が各地で行われていて、11月からがそのシーズンになるのである。
 特に中国地方や九州、そして三信遠の山間部に残る祭りは寒さをものともせずに夜を徹して行われるものが多く、神仏混淆など古い形が残っているのだが、特に注目すべきは「山の神」の存在で、「鬼神」「荒神」とも呼ばれるが、神楽で招く土地の氏神の他に「来訪神」として「山の神」が登場する神楽が多い。そして「自分の許可を受けずに祭りをするとは何ごとか」と文句を付け、問答になるものも多い。この問答は「神懸かり」の際にどんな神が降りてきたのか確認する必要があり、審神者(さにわ)がその役割をするのだが、その名残とも言われている。そして能楽での山伏などの宗教者と亡霊の関係も、この問答が元だという説もある。

 そしてこれらの神はほとんどが憤怒の形相を見せる鬼神面なのだ。この列島に生きてきた人たちにとって「鬼」と「神」が同居していて、この二面性はまさに自然と人間の関係である。自然は人間が生きていくための食糧や生活道具の材料をもたらしてくれる「豊かな自然」であり、時に嵐や洪水、飢饉、疫病などをもたらす「残酷な自然」でもある。鬼神をもてなし和解するのは、自然にはかなわないという前提の元に生きる人々の自然との関係を確認するものと考えてもいいだろう。どの祭りもそれぞれの土地で生きるための知恵や覚悟をベースにした強い信仰心による祈りが中心となっていて、それを芸能によって明るく、時にははじけて愉しめる祝祭になっているのである。

 アニミズムシャーマニズムを背景にした呪術的なこの文化は世界中のネイティブカルチャーに共通するものであり、先進国といわれる国のあるこの列島に残っていることは驚くべきことなのだが、まずはこれが滅びなかったことに感謝したい。それほど神楽に携わる人々のの信仰心は篤いのである。
 しかし現実にはその伝承は厳しいものになっている。ぜひ、神楽に出会うことにより、現地の人々と、そしてこれまで伝えてきた先人たちと、時空を超えて繋がってほしいと願っています。

三上敏視