福島県南相馬市日鷲神社例大祭報告

 先週末、福島県南相馬市小高区の日鷲神社に行ってきた。
 春季例大祭のお手伝いである。
 小高区は避難解除準備地区で、まだ帰還することは出来ない。
原発事故の後の線量は福島市よりも低かったのだが、20km以内ということで線引され来年は戻れるか、というあたりだそうだ。

 3年前の8月11日も臨時の夏祭りがあり、この時もお手伝いをした。この日だけでも故郷に戻ってきてほしい、ということで「でんでらキャラバン」でずっと福島を回っている、おおたか静流、松井亜由美、張紅陽の三人に、ぼくが太鼓で加わって、神事の前後の余興のような形でミニライブをした。他にもライブをした人がいたし、ぼくはソロで太鼓を叩き神楽神歌を歌ったり、護摩焚き神事で太鼓のお手伝いをしたりした。
 ちょうどお盆時期ということで立派な櫓も作って相馬盆唄で盆踊りを踊ったりもした。
 この時の様子はYouTubeにアップされている。撮影は天願大介組だった。
 https://www.youtube.com/watch?v=G0kQ-I3KoJs

 この祭りは西山宮司の熱意から生まれたものだが、中心スタッフとして動いてくれたのが熊谷航くんで、彼は震災後神社の手前で津波が止まっているケースが多かったところから『神社は警告する』(講談社)を共著で作った人で、神社を訪ね歩く中で日鷲神社の西山宮司と親しくなったということだ。

http://www.amazon.co.jp/神社は警告する─古代から伝わる津波のメッセージ-高世-仁/dp/4062177188

 そしてこの熊谷航くんの叔母に当たるのが本名が熊谷陽子である張紅陽ということで、いろいろ縁がつながり夏祭りが作られていった。

 それから3年弱。実際は創建652年だが、650年を祝う祭りが春季例大祭に重ねて企画された。日鷲神社は相馬藩にとって重要な神社の一つで戦の前には必ず戦勝祈願で訪れたという由緒のある神社なのである。
 この避難区域の神社の祭りに氏子さんたちにたくさん来てもらい、もとからあった絆をまた強めたいというのが宮司さんの強い思いで、朝早くから沢山の人が集まり、神社からは「御神酒」「焼きそば」「綿あめ」そして「サーターアンダーギー」が振る舞われ、ちょっとした縁日の風情も出ていた。実は3年前は昼間入ってもいいが、泊まってはいけないということになっていたが、今は住んではいけないがたまに泊まるのならいい、となっているらしく、3年前より人は多かった。ただ夏休みではなかったので子供の姿が少なかったが。


 さて例大祭は3年前と同じように神社において神事と直会、余興があったが、この日はこれを午前中に行った。僕は直会余興の一番手として、3年前と同じように太鼓を叩き、神楽神歌を歌った。そしていろいろ出し物があって、おおたか静流ライブの頃に、午後に行われるイベントのゲストである吉村作治先生と赤坂憲雄先生も到着した。
 赤坂憲雄先生は僕と高校が同級でいろいろ悪さして遊んだ仲であるがゆっくり話すのは実に45年ぶり。5年前にも会っているがその時は挨拶くらいしか出来なかったので嬉しかった。

 そして午後のイベントは「小高へGO!!」というタイトル。こういう機会にみんなで故郷に集まろうよ、ということで宮司さんが会場を小高区の「浮舟文化会館」という立派な施設にして、神社ではやれないこともしようと考えたのである。


 
 せっかくなので口開けは小高区の「村上の田植踊」につとめてもらった。津波で衣装などを失ったが立派に復活した地元の民俗芸能である。踊りの前に「田遊び」があり、牛による「代かき」や「苗作り」を演じて豊作を予祝するの道化のような寸劇があり、楽しかった。
 司会をつとめ、お笑いネタも披露した福島の芸人「ふくしまボンガーズ」がインタビューで牛のことを馬と言っていたのは残念だったが。

 そしてメインの吉村、赤坂両先生による「歴史対談」。司会は福島県立博物館学芸員で鹿島区の伊勢大御神の宮司でもある森幸彦さんだが、その前に熊谷航くんによる地元の「大蛇伝説」と小高の地形や歴史についての考察が前振りのように語られた。

 小高で津波が到達したエリアはもともと縄文時代は海だったところで、縄文時代の陸地に日鷲神社はじめ多くの神社が作られていて、また貝塚もいくつかある、ということ。
 そして大蛇伝説はおそらく川の氾濫や山津波などの自然災害が元になっているのだろう、ということ。そして伝説で語られる退治された大蛇の体が切られて飛んだ場所が地名としていくつか残っているが、それはほぼ貝塚の場所と一致するということ。貝塚縄文人の貝殻の捨て場だったことなど知らない古代の人々が、貝塚を何か特別な場所だと考え、退治した大蛇の体が埋まっていると考えても不思議ではないのではないか、というような内容だった。

 この話を受けて吉村先生は「同意します」と。地震津波も自然の生理なのだから、人間はそれを避ける知恵を働かせるべきで防潮堤で防ぐような考えは間違っている」と続けた。両先生は人間が被害を受けるから「自然災害」と呼ぶが、自然は災害を起こしているわけではないから呼び方がおかしい、というような話になっていったが、途中かなりの時間がエジプトになってしまったのは仕方がない。でも祭りのことや人々の暮らしのことで常に日本とはリンクしていたけれど。


 これが初めてという両先生の対談はなかなか面白かった。赤坂先生の発言が少なめだったけど「民俗学やっているとどうしても聞き役になっちゃうんだよね」と後で言っていた。

 そして「ふくしまボンガーズ」のお笑いに続いて「おおたか静流ニコンサート」。
 宮司さんから「大人の」「しっとりとした」というリクエストで、今回は子供向けでないプログラム」。最近はアコーディオンしか弾いていなかった張さんが久しぶりのピアノを弾いた。
 「浮舟文化会館」も小高区なのでほとんど稼働していなくて、300人のホールにあるピアノも震災以降弾かれるのは初めてだそうで、ピアノも弾いて欲しかったらしい。たまに調律はしていたそうだけど今回はでんでらスタッフの安斎くんが調律師なのでしっかり調律してくれた。

 最初は張さんのピアノだけで、そして松井さんのバイオリンが入り、僕の太鼓が加わるという構成で短かったけど「しっとり」と歌を聞いてもらうことが出来た。あとから聞いた話だと、お客さんも
地元スタッフも感動してくれたらしく、「次は手伝う」と言った氏子さんもいたそうである。
 地元の人達が喜んでくれるのがなによりである。ぼくらも大事なものをいただいて帰ってきた。

 熊谷航くんのブログでも報告あります。ご一読を。
http://ameblo.jp/jinja311/entry-12149299798.html