20日北上あたり、21日宮古あたり

20日の昼前に秋田を出て花卷へ。ネットをしたくて花卷空港で時間をつぶす。空港によってはフリーの電波がないけれど、ここは飛んでた。しかも駐車場は無料。旭川空港の反対だ。全国の空港とか駅とかもっとサービスしろよと言いたい。

そして花卷市役所へ行って、議会終了後の市議、増子(ますこ)義久さんに会う。近くの喫茶店で1時間ほどだったが、02年に早池峰神楽を一緒に見に行って以来の久しぶりだ。
増子さんは震災以来大槌町の支援に泊まり込みで行っている。札幌で「むすび場」という支援をつなぐ活動をしている僕の連れ合いとはすでに連絡を取り合っていて、札幌からもいろいろ大槌町に支援が入った。
増子さんのブログは以下。最新記事は議会での質問内容。なかなか感動的な質問内容だった。こういう質問のできる国会議員は萱野さんくらいしかいなかっただろう。市町村でこういう流れにして国会へ波及させたいものだが…。
http://samidare.jp/masuko/
増子さんはかつて札幌の朝日新聞記者としてアイヌのことを積極的に取材していたので「あの人はどうしてる?」とか話題は尽きない。また中沢さんの動きも注目していて、期待感を持っているようだった。

「ゆいっこくらぶ花卷」の会議に出る増子さんと別れてから東和町へ走り車を「道の駅」に置く、石鳩岡神楽の菅原正光さんにピックアップしてもらい、石鳩岡神楽発祥の集落へ。いつも神楽をやる神楽殿を見せてもらったり、装束や道具を保管している倉庫兼直会場を見せてもらった。
写真はずいぶん立派な金精さまw

そして東和町中心部の居酒屋「憩」へ。菅原さんが中学生の頃から出入りしているという店はとても雰囲気が良く、ママもステキだ。たぶんこれから時々行く予感がw。神楽衆の晃一さんも来てくれて、韓国の思い出話などに花を咲かせて、通訳してくれたキム・ヒョサンくんに電話したりした。

代行を頼んだら30分かかるということで、またその間飲んでしまい、けっこう飲んだ。道の駅で降ろしてもらって車中で爆睡。

21日は8時に北上の阿部武司さんをピックアップ。阿部さんは岩手の芸能はほとんど映像に収めている「生き字引」。盛岡へ走り、大阪から来た大阪市立大学中川真さんと大阪府立大学の花村周寛さんを乗せて、阿部さんの運転で宮古へ。

まず宮古市役所で黒森神楽の窓口になっている假屋さんを訪ねる。いろいろ話しを聞いていたら神楽衆の松本さんが来てくれた。地震の時は小舟で養殖ワカメの間引きをしていて、早めに港へ戻ったので、津波は展望台へ逃げて見ていたそうだ。それでもその展望台も危なくなり、峰を駆け上がって間一髪だったそうだ。
他の船は転覆した船もあったらしいが、大きな船に助けられとか。神楽衆もあちこちで危機一髪のところで助かり、獅子頭の権現さまもたまたまいつもと違うところに保管していて無事だったそうだ。みな口をそろえて「権現さまのおかげ」と言っていたらしい。

宮古の次は南下して山田町へ。ここで初めて被災地を見る。エリアが広くないので瓦礫はほとんど撤去されていたが、残った建物の壊れ具合で津波の威力はすごくわかる。
役場の人の紹介で八幡神社大神楽をやっている人と会う。マニアックな話になるが、実際に岩手を見て歩くと山伏系の獅子神楽の他に大神楽系の獅子神楽もけっこうあるのだ。おそらく伊勢大神楽が直接来たわけではなくて、江戸や水戸に来た大神楽が藩主の奨励かなんかで取り入れたのではないだろうか。

東北は山伏系獅子神楽が「霞」や「檀那場」と呼ばれる縄張りを巡業するのだが、山田町は殿様の「神道好き」の影響で神仏混淆の山伏系は入れなかったとか。今の八幡神社宮司さんも唯一神道派だと言うことだ。だから祭りでは大神楽が奉納される。放下芸はやらなくて獅子舞だけのようだが、獅子頭大神楽系のようだ。

でも、火事ですべて消失してしまい、7月2日の祭りで大神楽出来ないので借りられる太鼓を探しているという話を阿部さんから聞いていたので、秋田のVJで使うために車に積んでいたので、お貸しすることにしたのである。東北は締太鼓の大太鼓が多いが、大神楽なら僕の鋲留め太鼓でも使えるわけだ。お役に立てて嬉しい。普通の締め太鼓も使いたいと言うことで東京に戻ったら送ることにした。

とにかく八幡神社宮司さんが「なにがなんでも祭りをやる」と言っているらしい。この時期、頼もしいお方である。

そしてもう一度北上して、岩泉町小本で「中野七頭舞」という芸能の中心メンバーにお会いする。中野七頭舞は100年以上前に黒森神楽などの神楽を基に創作した芸能なのだが、敷居の高い神楽の一般化の成功例の代表だろう。全国に愛好会があるようで、東京にもあるらしいのでこんど見てみたい。
これも高円寺阿波踊りに対抗してもらいたいものだ(笑)。

そして、そしてそれかせまた北上して田野畑村へ行き、今度は黒森神楽と同様に巡業をする鵜鳥(うのとり)神楽の人と北川食堂にて面会。幹事役の深渡さんと長老の三上師匠が来てくれて、食事をしながら歓談。
黒森神楽と似た内容の神楽だけど、この震災後の動きは対照的だ。それぞれ難しい事情を持っているのだけれど、黒森神楽は「なんとかやってみたい」鵜鳥神楽は「しばらく出来ないかも」という感じである。

よそ者には口出しできないものだけど、なんとか応援したいものである。

田野畑を出て、盛岡で大阪の二人を降ろし、北上で阿部さんと別れ、もう遅かったのでまた車中泊にしようかとも思ったが、被災地を目の当たりにしたショックでかなり疲れていたので畳の上で寝ようと思い、踏ん張って秋田まで走り、石田珈琲で就寝。