宮崎の神楽せり歌取材無事終わりました

21日、博多から高速バスで高千穂へ。現地で西都の九州民俗仮面美術館の高見乾司(けんじ)さんと合流して雨の中、高千穂の奥の方の集落秋元を訪ねる。
高千穂秋元神楽は二回見ていて、別の機会にも訪ねたことがあり、また韓国の晋州仮面劇フェスティバルにも行ってもらったので、親しくお付き合いさせてもらっているが、神楽でせり歌は見たことがない。でも晋州のフェスの打ち上げの余興で秋元の人たちがせり歌をやってくれたので、知っているのだなということはわかっていた。

早めに着いたので、メンバーの一人、飯干敦さんを訪ね、イチゴ栽培のハウスで作業をしていた敦さんの話を聞く。昔は神楽を舞えるのは長男だけだったので、次男、三男などが舞えない悔しさもあり、また神楽には女の子も多く見に来るので目立つために、自己アピールのために盛んにせり歌を歌って騒いだそうだ。
だから神楽が盛り上がるには無くてはならない要素で、今せりが出ないのは寂しいと話してくれた。

そして今年から秋元の保存会長になった飯干金光さんのお宅へ。金光さん宅は「蔵守」という民宿をしているのでこの晩はここに宿泊。地の物を使った美味しい夕食を頂いたあと、かつて牛舎だったところを改築したギャラリー「くらんでら」へ。ここは高見さんがプロデュースしたもので囲炉裏があり、ニジマスが炭で焼かれていた。

ここにせり歌が歌える飯干貴美子さんが来てくれ、敦さんも来てくれた。そして金光さんの奥さんや息子さんの記章さんも混ざってくれて、ひとしきりせり歌談義。昔は外にせり台を作って竹の手すりを渡して「ヨイヨイサッサ、ヨイサッサ」と竹を揺らしたとか、面白い話をいろいろ聞いたあと、焼酎を飲みながらせり歌を歌ってもらった。神楽は出会いの場であり、また「今宵限りはお許しなされ 人のかかでも嫁女でも」というせり歌があるくらいの特別な夜だったので、歌のあとにラップのようなかけことばもかなりの下ネタが混ざっていた。

せり歌が下火になったのは、こういう歌が敬遠されるようになったからという説もある。露骨な歌をよけてせり歌を復活させることは出来るだろうけれど残念なことだ。

22日は椎葉の嶽之枝尾へ。ちょうど村長選挙投票日の前日だったので、みなさん忙しいところを集まっていただいた。ここはせり歌がまだちゃんと残っている所で、特に歌の上手い人も多いということで高見さんから推薦され訪ねてきた。
宮司さんの椎葉勇さんはじめ、奥さんの浪子さん、お母さんのアスエさん、右田美佐子さんたちからひとしきりせり歌についていろいろ説明を受けて、歌ってもらうことになったのだが、いつもは神楽の中でお囃子を聞き、舞を見ながらせっていくわけなのでせり歌だけだとどうも歌いにくそうだったが、それでも素晴らしい調子で歌ってもらった。
舞い手もせり歌が歌われると元気になり、待っていて楽しいと勇さんは言っていたが、この歌ならほんとにやる気が出るだろう。

それもそのはず、ここの女性たちは「稗つき節日本一」とか民謡の名人ばかりなのである。
おそらくここのせり歌は古謡が神楽に加わったものだろうから、今歌われている整理された民謡の原型がここにあるという推測も間違っていないと思う。
そして「若い人に伝承して行かなければならないと思っている」という話も浪子さんから出て、この部分も同じ思いだった。

これまでは「練習なんかしないで、一年で一度神楽の日にしか歌わないのでぶっつけ本番です」というのにもびっくり。子供の頃から年に一度の神楽のばあちゃんたちのせり歌を聞いて覚えて、少しずつ一緒に歌うようになったとのこと。すごい伝承だけど、今は難しいのでこれからは勉強会が必要になってくるのだろう。

この日は午前中の取材だったので、終わった後に諸塚へ移動。村が管理している「よしや」というリフォームした古民家に泊まることになった。標高600mくらいの高いところの、今は二軒しか住んでいない「天空の村」みたいな素晴らしいところである。家の中は都会から来た人が快適に過ごせるように水洗トイレやシャワーにガス台も備えられているが、五右衛門風呂やかまどもあり、昔の生活を体験できるようにもなっている。ここで軽い自炊をして夜を過ごした。高見さんは早めに床についたが僕は高千穂と椎葉のビデオを見始めたら面白くって、けっこう焼酎が進んでしまった。
高見さんはその音を聞きながら神楽の夢を見たらしい(笑)

翌日は雨も上がっていたので、高見さんには釣りをしてもらうことにして早めに山を降り、僕は村の資料館のような「エコミュージアムしいたけの館21」でネットを使わせてもらったりして時間をつぶした。
昼食は、南川神楽を見に来るときに必ず食べる、ここの食堂の「どんこ亭」ランチバイキング。どこまでも椎茸がメインである。
お母さんたちが作る椎茸や地の野菜、鶏などを使って和洋中華、バラエティーに富んだメニューで、これにジュースやお茶屋コーヒーが飲み放題で800円である。ここなら安心して椎茸が食べられるというご時世になったのは残念だけど。
またいつも買う干しタケノコも売店の「もろっこハウス」でゲット。いつもは冬に来るので色の良いものが並んでいたのも嬉しかった。

先に食事をしていたら、高見さんが釣りから戻ってきた。釣果はヤマメが五匹。型のいいものも一匹釣れていて高見さん「想定していたメニューが作れる予定通り」と満足そう。

そしてお昼を食べてから、南川へ。西田会長はじめ、松村さんや那須さんなど集まってくれました。那須さんが一番知っているという事だったけど、みなさんは神楽やる側の人達なので、もうひとつはっきりしない、と言うか、たぶん知っているんだけど照れくさいかんじでなかなか歌が出ない。「わしらは神楽歌(神歌)の方を覚えんといかんとですから」と。純朴なのである。それであのおばあちゃんなら知っているだろう、と急きょ一人のおばあさんを呼んでくれたんだけど、これもまた一人だし、なかなか思い出せないということで歌が出て来ず、少し歌うと「忘れた」というかんじ。

南川もせり歌(ここではぜき歌と呼ぶらしい)が途絶えてから久しいらしく。夜中の盛り上がりも今は歌謡曲みたいなのちょっと歌ってから「ヨイヨイサッサーヨイサッサ」とやるやり方になっているのだ。
高見さんが気を利かせてくれて、「こんな歌じゃなかったかな」と歌ってくれたら、ようやく思い出してきたようで、どんな種類があり、どんな節回しだかわかってきた。歌の文句はやはり男女関係のものが多く、資料によればかつては男組と女組に分かれ、神楽を挟んでせり合ったらしい。
向こう側にいる意中の男にせり歌を歌いかけたら帰ってこないので泣きだした娘がいたという話も出た。やはり歌垣の流れが残っていたようである。

南川のせり歌はどうやら高千穂のせり歌で歌われる「ノンノコ節」と椎葉や東米良系のせり歌の両方があるようで、このあたり神楽の伝播と重なり、興味深いところである。そして三種類あるうちの一つは「箕舞」という芸能で歌われる歌と同じだということを教えてくれた。箕舞は男が杵、女が箕を担いで出てきて舞い、最後に杵で箕をつつくという性的な表現があるらしい。そしてかつては男が女装女が男装をしていたらしいのだ。
こちらも興味深いが、たぶん神楽せり歌のほうが先にあって生まれた芸能なのではないかと想像する。

最後の方ではみなさんすこしずつ思い出してきたようで、最後には「今度婦人会に声をかけて思い出してもらい、せり歌を歌えるようにしよう」ということになりました。
たぶん、神楽を見に来ている人で歌を知っている人はいるのだろうけど、お年寄りになると勢いのいい声が出せないということで、歌が出ないのだろう。

そして南川の取材を終えて、西都の高見さんのところへ帰り、早速ヤマメ料理をいただくことになった。大きいのともう二匹は朴葉に味噌を塗ってヤマメを包み、ホイルで巻いてオーブンで焼く朴葉味噌焼き。そして残りの二匹は二枚におろしてぶつ切りにし、昆布出汁で煮て塩味をつけるヤマメのスープ。高見さんは釣り上げたらすぐに水の中で腹を割いて塩をすり込んで持ち帰るそうで、こうすると冷凍しておいても、美味しさが残るということだ。




24日は宮崎市内でこれから立ち上がる「MIYAZAKI神楽座」という、若い世代を中心に宮崎の神楽を理解してもらい、神楽の文化を支えていこうというプロジェクトに参加する予定の人たちなどに集まってもらって僕の神楽ビデオジョッキーをした。去年日向市で行われ、僕も出演した「カムヤマト」の代表メンバー、戸越くんや河野さんもいたし、西米良村の村所から東京公演でも会ったことのある中堅メンバーの濱砂亨さんが来てくれ、また椎葉神楽を中心に神楽を研究している宮崎公立大学の永松敦さんも来てくれた。
会場の関係で時間が長くとれなかったことが残念だったが、みなさん熱心に見てくれて宮崎での一回目のビデオジョッキーはうまくいったんじゃないかな、と思う。

そしてこの夜は戸越くんも高見さんのところに泊まり、25日には村所へ。
ここの神楽の生き字引で大師匠の92歳、中武雅周先生のお宅にお邪魔したのだけれど、ここでは神楽ばやしと呼ぶせり歌が今は歌われなくなっているので、若い女性たちを集めて練習会をしていただいた。今回のせり歌取材をお願いしたところ、「練習しよう」ということになったらしい。前の日VJに来てくれた亨さんや中堅の神楽メンバーも来てくれたので、笛、太鼓も入る本格的な練習となった。先生も鈴を鳴らして大ノリの様子。

ここでも昔の話を聞いたり、今の話を聞いたり、酒も入って楽しい時間を過ごしながら「さあ、また練習だ!!」と先生のかけ声で何回も練習。節は一つでそれを途中長く伸ばすか伸ばさないかの二種類で、これまでのどの神楽にもないメロディーだったのが意外だった。
でも僕の本でも紹介した
「神楽出せ出せ神楽出せ 神楽出さなきゃ 嫁女出せ」や
「あの子良い子だわし見てわろた あの子育てた親見たい」
など、字では知っていたけどどんな歌かわからなかったものが
実際に歌われたので感慨深いものがあった。
どうも小学校で「神楽体操」なるものをやっているらしく、その時歌う歌がこのせり歌なので、みんな歌ったことはあるらしい。でも神楽で歌ったこともなく、聞いたこともないから新鮮だとみんなが言っていた。
中武先生は校長先生をしていたらしいので、多分これも中武先生のアイデアなのではないかと思う。それほど神楽が好きで熱心な人ということは話を聞いててビンビン伝わってきた。

また椎葉で取材したせり歌を聞いてもらったところ先生は「昔村所で聞いたことがある」と言っていた。だからかつては椎葉から村所に歌いに来ていたということもわかり、またひとつ新事実を知ることに。


宮崎は梅雨の末期。全員飲んでしまったので車を置いて宿まで帰るために傘を借りたので、翌朝返しに行ったところ、「歌の文句を少し新しく作り変えてみたよ」とワープロでプリントアウト。ワープロは使うはDVDは使いこなすわ、昨夜の練習会ではカセットで録音してすぐ再生してまた録音、と92歳とは思えない若々しさぶりにびっくり。
帰りは、坂道をスタスタと上がって見送ってくれたのでそれにもまたびっくり。

村所神楽でのせり歌復活はもうこの12月には確実で、きっと一番早いでしょう。諸塚南川も復活されそうなので楽しみだ。
先生からは「この機会をもらったおかげで、練習して覚えることになり、昔の良い文化を取り戻すことが出来て感謝してます」と言われ、本当に嬉しかった。

26日に行くはずだった尾八重神楽は、歌える人が急に来られなくなったということでキャンセルになったけど、尾八重は実際の神楽でまだ歌われているのでビデオに収めてあるし、
高千穂、椎葉、諸塚、村所と四ヶ所回っただけで十分な収穫があり、満足な取材旅行となった。

まったくの直感で思いついた今回の取材だが、きっと神楽の神様が導いてくれたのだろう