淡路の地震でアボリジニのことを思い出した

13日、丹波篠山に向かう早朝、淡路島震源の大きな地震があったというニュースが。ぼくは飛騨にいて気が付かなかったけど。
95年の阪神淡路大震災の後、横尾さんと細野さんプロデュースによる『アートパワー展』というイベントがが神戸であり、横尾さんの絵や細野さん清志郎さんなどミュージシャンの音楽で被災者を励まし、犠牲になった人たちを慰霊し、壊れた街や人々の暮らしが元に戻るようにとの祈願のイベントだったが、ぼくはそこで「大地や自然と今も密接に交流して生きている」アボリジニに来てもらう担当となった。
主催者や横尾さん細野さんたちのリクエストだったのだが、彼らの存在によって忘れていた自然とのつながりの何かを取り戻せたらという趣旨だったのである。

そのアボリジニアイヌとの交流ですでに付き合いのあった西オーストラリアのパースを拠点とするDUMBARTUNG ABORIGINAL CORPORATIONのロバート・エギントンを代表とする一行で、ブルームに近いところにいた海辺の部族から長老たちが来てくれた。神戸でのイベントの前には、淡路島へ行き、伊弉諾神宮の近くの磐座でアボリジニたちと儀式をしたりもした。
DUMBARTUNG ABORIGINAL CORPORATIONはアボリジニの文化をそのエネルギーとして民族の復権を進めるプロジェクトで、KYANAという全オーストラリアからアボリジニのアーティストが集まるイベントなどを企画していた組織である。
http://dumbartung.org.au/

僕も彼らからディジュリドゥを託され、演奏するようになったのだが、そのロバートから先日、ひさしぶりに来たメールでは、なんと彼の息子が数年前に20代で自殺したという、ショッキングな内容が書かれていた。

詳しいことは書いてなかったが、おそらく差別が原因ではないかと想像している。なんせオーストラリアではアボリジニが「オーストラリア国民」となったのは1967年で、それまでは人間扱いされていなかったのだから。

ロバート・エギントンはマルロ・モーガンの書いた『ミュータント・メッセージ』という本の内容がデタラメで、これによってアボリジニのことが世界的に誤解されるにとどまらず、子どもたちが自らの存在や文化を間違って認識してしまうことを危惧し、反マルロ・モーガンのキャンペーン活動を開始した。モーガンの来日講演に合わせて彼らも来日し、日本での抗議活動も展開した。
http://www2.comco.ne.jp/~micabox/bun/ms1.html

『ミュータント・メッセージ』はニューエイジファンの支持を得ていたようだが、日本での反応は「本の内容が素晴らしければいいのではないか」というものが多く、当事者のアボリジニに寄り添う意識はなくて、それは「自分の意識のステージが上がればいい」というような自我丸出しの反応だったように思う。
このことについては、札幌勤務時代にアイヌに寄り添って取材活動を続けた朝日新聞社の増子義久氏がコラムを書いていた。たしか「善意の人たち」がキーワードだったような記憶がある。ちなみに増子氏はリタイア後に故郷の岩手県花巻市議となって孤軍奮闘、今は沿岸部の被災地に寄り添って支援活動を続けている。
http://samidare.jp/masuko/

ロバートのメールには一連の活動をカナダ人の研究者が取材をして本にしたということも書いてあった。邦訳は出ないだろうけど僕も取材を受けたし、送ってくれるというので、それを楽しみにしている。そしてドキュメンタリー映画も作りたいと書いてあったので、出来れば彼らの日本での活動の記録映像も探してみたいと思っている。

先日の淡路島の地震は、結局95年からなんも変わっていないということなど、なんだかいろいろリンクしていて考えさせられることがいっぱいでフェリーではずっとそんなこと考えていた。そしてその後も各地で次々と地震が‥。

95年の震災のあとも11年3.11のあとも「根本的に現代文明を問いなおして新しい生き方を考えよう」という機運は高まったのだが、それはやはり少数で、元に戻ろうとする力のほうが圧倒的に強い。さて、どうしたもんか。