新野の雪祭り

micabox2008-01-14

朝10:31石和温泉発の普通列車に乗り、甲府で乗り継ぎ、岡谷で乗り換え、飯田線の温田まで5時間9分の各駅停車の旅。
長野県阿南町新野で行われる「新野の雪祭り」に行くのである。
休日なので飯田まではそこそこ乗客もいたが、飯田から温田までの約1時間はのんびりとしたローカル線の旅情があった。

温田駅に着いてもバスの連絡がないので、ネットを通じて知り合った地元のSさんに迎えに来てもらう。地元に知り合いが出来るのはまことに心強い。
一人で車で行く方法もあったのだが、夜中に神楽三馬鹿の一人K氏が車で来ることになっていたので、帰りが二台になっては無駄なので一人でJRにしたのである。

この祭は去年も見たのだが、夜通しだったので途中寝てしまって見ていない演目があったので、残りを見たかったのと、この祭の独特の雰囲気をまた味わいたかったのである。

田楽や田遊び、神楽など、いろいろな古い芸能の要素を含んだこの祭は民俗芸能を学ぶ者にとっては必修科目のようなものと言われており、神楽を見て歩いている僕にとってもとても興味深い内容なのだが、子供から老人まで町の多くの人が参加している雰囲気がまたとてもよろしいのである。

古い祭りは「村」に多く残っているが、ここは「村」というよりは「町」という感じなのでいつも見ている神楽よりは規模も大きい。ここのところ限界集落の祭ばかり見てきたので、なんか安心する。

今回は夕方の「お上り」という行列が歩いて神社に入っていくところから見たかったのだが、S氏のおかげで途中から見ることが出来た。
それも「消防団のラッパ隊」が行列を待ち受けて、行列が来るとパッパッパッパッパー!!と吹く場面である。
古い祭りの行列に西洋ラッパが混ざるのは初めて見たが、これもまた面白い。明治あたりからやっているのかなあ。S氏も以前消防団でこのラッパを吹いたそうだ。

いったん会場の伊豆神社に先回りして荷物を置き、S氏と別れて一人で町の中心部まで歩いて降り、また行列を待った。路上では町の人たちが大勢行列を待っていて、面の入っている輿を通り過ぎるときに拝礼をしている。行列には多数の子供たちが笛で参加していて賑やかだった。

行列の後を付いて歩いて神社に戻るとすでに神楽殿で舞を舞っている組があった。びんざさらを持って舞う田楽っぽいのや、このあたりの地域の神楽で舞う「順の舞」という舞などを、子供から大人まで幅広い世代が舞う。教習兼本番の伝承の現場だ。

このあたりからはもう去年見たので、休憩所で駅弁の残りを食べながら自主的に御神酒をいただき、休憩。夜の早いうちの演目から興味あるものだけ見てのんびり過ごす。休憩所がこの時間帯は意外とすいていたので横になったり、起き上がって飲んだり。

だんだん人が増えてきたなと思ったら知った顔が入ってきた。あらビックリの中沢新一さんである。多摩美の芸術人類学研究所のメンバーと一緒に来ていて、折口信夫の歩いた道を辿り直すプロジェクトの一環のようだ。
僕がいたのでビックリしたみたいだが、どっちかっていうと僕の方が「いても不思議じゃない」んじゃないかしら。

またそれとは別に僕の薦めで見に来た多摩美芸術学部の学生が三人いたし。夜中に来るK氏も講師だからやたらと「多摩美率」が高くなっちゃった。
雪祭りで新年の挨拶が出来るなんて、目出度さ倍増である。
演目が休憩の時にみんなでワイワイ盛り上がり、楽しかった。

K氏が着いたのは午前3時あたり。メインの「さいほう」のあとの「もどき」に間に合った。僕は「もどき」を見て5時から7時くらいまでまた仮眠。休憩所がうるさくてなかなか寝られなかったが、それでも1時間は寝たかも。

そして朝になってからの、子供が爺婆にに扮してまぐわいのふりをする「神婆」から復活。じいさんたちの「下ネタ」ヤジを楽しむ。もともとこの祭は性的な要素がかなりあるのだが、じいさんたちはみんなかなり酔っぱらって奔放に下ネタやギャグを飛ばす。神事の唱えごとをしていてもすぐに性的な解釈に持って行って途中で「いいなあ」と独り言を言ったりするのである。

他にも「さいほう」「もどき」では男根を意味する棒で女性の顔をなでたりして(神楽三馬鹿ではこれをナデチンコと名付けた)、祭でなければセクハラで逮捕されそうな内容もあるだが、これは豊穣の予祝の意味などもあり生殖関係は大事な要素なのだ。そして昔のつらい農民の生活では性がほとんど唯一の楽しみだったのだろう。

そんなこんなで9時半頃に祭は終了。また今年も楽しかった。
でも寒かった!! !!
新野地区の朝の気温はマイナス7度だったようで、去年より5°くらい低かったかも。外で見なければならないこの雪祭りは過酷だけどそれでもまた見に行きたくなってしまうのである。