進藤貴美子先生の民俗舞踊考察

夕べは岩見沢の進藤貴美子先生のところへToyToyに連れて行ってもらって、先生の手料理で痛飲。
久しぶりに酒の残る午前中であります。


進藤先生のことを紹介すると長くなるので手短に。
北海道教育大学の体育の先生だったんだけど、民俗舞踊の研究者でもあり、民舞研にも関わっていました。
そのアプローチはぼくの勝手な命名だと「西洋体育」に対する「東洋体育」というものでしょうか。気の世界もよくわかっていて、どのような身体の使い方をすると天地と繋がるか、というようなことも具体的に示してくれます。
いろいろな研究テーマを持っているけれど、学校教育における民俗舞踊の取り扱いの難しさ、ということにも鋭い視点を持っていて、基本的に「教えない」(見る・盗む)ということで伝承されてきた民俗文化を学校で教えるということで大事なものが失われるのではないか、というスタンスのようだけど、実際に教えているとそれに気づく学生もいるので、否定することも出来ないようです。
結局長くなってしまったので長くなったついでに先生からもらった「たのしい体育・スポーツ」という、たぶん機関誌に寄稿した「論考」「問題提起」などコピー3部の中から、一部を転載します。


「民俗舞踊は芸能として、先人がくり返し伝承を重ねてきた各種儀礼行為の一つとして形づくられたものである。私たちの生命は自然の恵みによって生かされている。自然の恵みはその循環が、すなわち四季の順行、晴雨のバランスが整うことによってもたらされる。その営みは人為を超えたところにあり、そのことを熟知していた人々は「祭り」の場を設定することによって、自然と人間との共存関係を維持し、自らの生命を更新する術を創出した」

まったく同意見です。

「狩猟・採集・漁撈・農耕とその方法は異なっても、自然を相手に働く身体は「最小のエネルギーで最大の効果をあげる」という身体操作を必要とする。仕事のはかをあげ、長時間の作業を持続するためには、「下腹(丹田)をすえて末端の力を抜き、必要な時だけ力を入れて腰で動作する。こうした身体を日常的に行っていた人々の創造による民俗舞踊には、足、腰、の動き、そして振りにそうした身体技法が働いている」


長時間の神楽の舞を舞い続けるのにはこのような基本的な身体技法があるようです。そして「丹田をすえる」ですが、これは鎮魂につながるでしょう。


30日の「お神楽ナイト」のテーマは「神楽の舞」。素人のぼくが見てきて気がついた舞の基本の動き「反閇」「鎮魂」「袖振り」などを紹介するけれど、それはおもに呪術的な要素になります。いつか進藤先生の「生活から生まれた疲れない、気の通った民俗的身体技法」の考察と「呪術の技法」を重ねて神楽の舞のより深い解説をしてもらえたらと思っています。

でも30日の「お神楽ナイト」の内容は昨夜のおかげさまで予定よりちょっと良くなりそうで、ありがたい、久しぶりの再会でした。