「みだら」の構造

早朝書くことではないと思うけど。ゆうべのFBのやりとりで朝もはよから林秀彦の『「みだら」の構造』を手に取ることになった。13年前に買った本である。神楽を見始めてまだ数年の頃だ。
ここに至って、宮崎の神楽せり歌文化や祭りにおける開放的な性文化を知るようになって、あらためてこの本の目次を見ていたら、「なんだ買うべくして買ったんだ」といまごろ思った。
この著者にせり歌聞かせたい。

ちなみにこの本の最後は
「しどけないというのは、若くて分別のないという意味もあるが、やはり、乱れていることである。日本的感覚では、乱れているということは美である。能の舞い事にも乱れはあるし、歌舞伎の下座音楽にもある。筝曲で乱れといえば、乱輪舌(みだれりんぜつ)であり、生田流では十段の調べである。
日本人は女々しいのだ。その女々しさこそ我々の誇るべき民族性であり、日本の文化である。そこから生まれるすべては、日本人の豊穣な「情」の世界の表象であり、日本人以外、何人ももちえない「みだら美」なのである。」と。

ここに神楽とか獅子舞とかの乱れ、狂いが入ってたらなおよかったのにね。

まあ、ヘンテコなナショナリズムに読まれる危険性はあるけど、書いてることは「日本人は優れている」とか「強い」とか「えらい」じゃない。「女々しい」だ。
そこを文明開化後の支配者たちは利用してるということなんだけど‥。

60過ぎたら「エロジジイ」になって、70過ぎてまだ生きてたら「ボロジジイ」だとかこれまで言ってたけど、それはひとまず撤回して「みだら翁」目指すかな。

だけど、その前に原発やらいろいろ解決せにゃならんことがいっぱいあって、「みだら」を謳歌するどころじゃない現実がくやしい。

http://www.amazon.co.jp/「みだら」の構造-林-秀彦/dp/4794210094