昨晩のたね蒔きジャーナル 金曜版

5/25(金)

 永岡です、毎日放送ラジオのたね蒔きジャーナル、今日も水野晶子さんの司会、毎日新聞専門編集委員近藤勝重さんの案内で放送されました。近藤さんは今日、大阪のスタジオでの出演です。また前座のタイガース戦中継で月間川柳大賞のことが報じられたのです。

 原発のニュース、核燃料サイクル見直しで、原子力委員会、電気事業界を集めた会合を20回以上開き、近藤委員長も4回以上出て、近藤氏、事業者の意見で書き換えていないと言っています。近藤さん、あきれた話で、原子力委員会内閣府のところで、政策を決める最重要機関であり、推進側の関係者で秘密の勉強会(=議事録なし)はひどいと言われました。こういうニュースはこれがたまたまではなく、習慣化していたと指摘されました。

 5月の月間時事川柳大賞、近藤さんの選んだのは「命がけ 政治が付くと安っぽい」、水野さんの選んだのは「選択肢 イエスが付くと再稼動」でした。

 そして、水野晶子のどないなっとるねん、薬害イレッサの高裁判決、原告逆転敗訴であり、薬害イレッサ訴訟の全国原告団の団長、近澤昭雄さんのお話がありました。近澤さん、スタジオでの出演です。

 イレッサは肺がんの特効薬、一審が認めていた製薬会社の責任を認めなかったのです。薬害イレッサの会の代表の近澤さんです。去年11月にもたね蒔きに出られて、今日は今まで以上につらく、脱力しているのです。裁判開始で、冒頭、上告棄却と聞いてがっくりです。娘さんの病気で、肺がんを29歳で患い、診断から2年目でイレッサが出て、当時の情報は副作用なし、家庭でも気軽に飲めるといわれていたのです。

医師は一般的な人から処方され、医師より副作用の話はあり、それほど深刻な話ではなかったのです。命に関ることはなかったのです。娘さんは肺炎になり、これが重い副作用で、843人(9月まで)も亡くなられたのです。判決はそれをどう説明しているのかと近藤さん言われました。一人ひとりの苦しみは裁判には出ず、痛みではなく呼吸苦、息ができない(服用して1,2ヶ月で出た、娘さんは49錠飲んで発症した)のです。緊急入院しても横になり眠れず垂直になり苦しんだのです。

 843人亡くなられたことに、裁判所は説明をしていなかったのです。一番のポイントは、添付文書の問題は国の責任なし(製薬会社が医者に知らせている)、副作用は下痢と言われており、しかし肺炎になるとなったら誰も飲まないのです。重い肺炎、助からないと市民社会で受け止めているのに、判決にはなかった、触れていなかったのです(この肺炎は40%の人が死ぬのに)。医師とのことは、専門医の責任と言われており、専門家だからわかるというのは、イレッサのために生きていられるという患者もいるものの、文章を読んだらわかるというのはおかしいと近藤さん言われました。今回も判決に反映されていないのです。

一審は認めているのに、人の命がかかっているのに、高裁、一審の意味合いを受け止めるべきなのに、何のための三審制なのかなのです。一審の大阪地裁は国と製薬会社の責任を認め、高裁で認めない、これは損害の額が変わるレベルではなく、人の命がかかっているのに、どうなのか、なのです。肺炎も死に至るとの記述はなく、それでも責任なしなのです。

 イレッサの承認は日本が世界で初めてで、わからないことばかりであり、裁判官が法律の技術的な解釈しかしていないと近藤さんも言われました。薬もコンビニで売られ、自己責任というのはおかしいのです。

 近澤さん、今から夜行バスで東京に帰られるのです。この生活を8年続けてきた(今69歳)なのです。闘いは続きます。

 最後に、近藤さんの幸せの雑学、若い人はあまり本を読まない(小説を読まない)、小説を読む楽しみは、事実に基づく話ではなく、うそが書ける、小説のすごいところで、中世のヨーロッパ、神に権威があり、それを相手に、普通では一行も文章にならない、しかし小説では作り事がかけるので、神と、個人の欲望を対決させ、絶対者の力を削いでいたのです。事実に基づくと書けないが、小説なら書けて、人間を縛っていたルールから開放するのです。人間の生き方はいろいろできる。言葉は書いたら終わり、物語性の強さは小説の持つ絶対的なものであり、想像力の世界に誘い、物語の中に第2の現実がある。愛と失恋、生と死がある、生きるとは何かと考えさせられるものなのです。現実の世界ではそうではない、この一日の重みがあると、うそだから言える事実があると言われました。虚構の世界が現実化しているのです。小説を読まずに人生を終えても虚しいのです。

 毎日放送で、5月27日の夜、特番「今津波がきたらどこへ逃げるか」、深夜に放送されます。たね蒔きのディレクターの取材とのことです。

 今週もたね蒔きをお知らせいたしました。