昨晩の「ラジオフォーラム」書き起こし

 永岡さんによる書き起こしをまた転載します。(三上)

 永岡です、今週もラジオフォーラム、ジャーナリストの今西憲之さんの司会で放送されました。三角山放送、先週も早くから汚水処理の提言をしていると小出先生のすごい話があったと紹介されました。

6月に東京都議選、7月に参院選安倍総理憲法改正を謳い、憲法論議、すぐに変えるであり、論議がないと今西さん言われて、被災地を歩いて、震災も原発事故も終わっていないのに、選挙の争点が憲法はおかしいと被災地では言われているのです。

 小出裕章ジャーナル、小出先生のお話、先だっての大きなニュース、福井県敦賀市にあるもんじゅのことがあり、重要な機器の1万点の点検漏れについて、点検時期が過ぎても放置していたが規制委の調査で分かり、これについて小出先生「もちろんこんな状態で再開したらえらいこと」、ただし、日本原子力研究開発機構だけがサボっていたのではなく(そう報じられているが)、「一体これまで国の規制機関は何をやっていたか」が小出先生不安なのです。原発事故で国民の関心が高まり規制委も動き出したが、「今まできちっと規制も何もしてこなかった」、国は偉そうに原子力開発機構が悪いと言うが、「悪いのは国も同罪」なのです。

 監督官庁文科省、毎年原子力開発機構(昔の動燃)に安全確保の徹底とかをやり、A評価、順調と評価したこと、小出先生失笑され、本当にマンガのような話、動燃という組織、正式名称は動力炉・核燃料開発事業団は新しい形の原発を作る、核燃料の調達をする国営研究所のはずであり、国営の研究所、科技庁(今は文科省)傘下のもので、動燃の手掛けた発電用の原子炉はふげん、もんじゅがあり、ふげんはとうの昔に役に立たないと廃炉になり、もんじゅも作ったが1kw/時間も発電できず、1兆円ものお金を捨てた(泣)、どうしようもないもので、核燃料も人形峠のウランを掘っても何の役に立たず、放射能のゴミを周辺に撒き散らして知らん顔をしている組織。海外のウランの調達も出来ない、想像も絶するほどのダメな組織なのです、A評価はどれを考えてもありえないのです。その上ナトリウム漏れ事故+事故隠しであり、地元に迷惑、恐怖を与えたのです。

同じ福井県で日本原電(日本原子力発電、関電、中部電が株主)があり、それの所有する敦賀原発2号機の下に活断層があり、調査報告がまとまり、2号機の廃炉が迫られること、小出先生、活断層の上に原発のあることは、実際にあり、日本は世界一の地震国、理由は大陸を作るプレートが4枚も日本近海にあり地球上でとても特異な場所で、地震が起きないほうが不思議、岩盤の割れ・活断層は当たり前、そんなところに原発を作るのが間違い。日本に58基も作り、調べたら断層と無縁な原発はないと小出先生思われるのです。報道では2号機のみ廃炉なものの、地震の被害を考えたら、敦賀原発だけではなく、福井全体を見直すべきと今西さん言われて、小出先生もそう思い、原発地震の揺れに関しては耐震設計をやったと言っていたものの、原子炉の真下の断層が動くと、揺れではなく変移であり、土地自身がずれてしまい、揺れではなく直接建屋・機器が破壊され、そんなものにいかなる計算も出来ない、だから活断層の上には原発を作ってはいけないのに、敦賀2号機は活断層の真上にあることが最近分かり、もちろんそんなものを動かしてはいけないのです。

 今西さんも大阪におられて、遠くない福井に原発があり不安であり、小出先生、原発は止めればいい、しかし止めても今まで作った使用済み燃料(核分裂生成物の塊)は消えない、まずは止めて、作ってしまった毒物を周辺に撒き散らさないようにこれから苦労を重ねないといけないのです。関電が敦賀から電気を買っており、リスナーより、敦賀が止まっても今年の夏の電気の需要は大丈夫かと質問があり、小出先生は全く問題なし、原発を全てとめても、火力水力がたくさんあり、「原発を全部止めてもいついかなる時も大丈夫」、大飯を動かさないと足りない、停電になるぞと昨年国と電力会社が脅し、多くの人がそうかと思ったが、そんなことなし。去年も十分に火力の能力は余り、今年も原発全部止めても何の問題もないのです。

 今週のゲストはジャーナリストの西岡研介さん、元神戸新聞の記者で、その後噂の眞相の記者になり活躍、今はフリーのジャーナリストです。ふたつの震災と言う本を西岡さん書かれました。

 参院選のテーマは憲法ですが、被災者、原発被災者にとっては、忘れられるので、被災地に詳しい西岡さんのお話です。西岡さん、松本創さんと一緒に本を出し、ふたつの震災は阪神・淡路であり、松本さんも阪神淡路を取材し、松本さんも元神戸新聞の記者、東日本大震災、目の前の信じがたい光景であり、阪神・淡路とリンクさせることは今西さんなく、西岡さん、阪神・淡路を取材した経験があり、その物差しで当てはめられるならいいと取材されました。

 震災取材、どれだけ早く現場に入れるかとの空気もあり、西岡さん、事件事故なら、早く現場に行きたいのが習性だが、今回は足がすくんだ、阪神・淡路の際に発生から1週間、救助・救援が大変なときは取材も困難なので、すぐに行けなかったのです。それでも被災地に行ったのは、被災地以外にいた人にとっては報道の洪水であり、どのチャンネルも震災報道、テレビ・新聞を見て、なら現場に出たほうが楽になる(人の取材したものを見るより自分で見るべき)、震災後1ヶ月で被災地に入られました。

 宮城県名取市、竹沢さんご夫妻を取材して、家は仙台市内にあり、実家に8ヶ月の赤ちゃんを預けて仕事にでて、実家が津波にあい、実の両親、祖父母、子供が津波で亡くなったのです。奥様、乗っておられた車を見つけて、救援の熊本県警の人に車を探しても見つからず、素手で車の周辺を探して、子供のバスタオルを見つけた、胸の詰まる思いであり、今も行方不明の人がいて、震災1ヵ月後でも、必死で探していたのです。

 阪神・淡路でも被災して子供を亡くした人のことを書き、伝えないといけない、これは難しく、それぞれの記者は苦しみながら(遺族より軽いとしても)、震災から2年なのに、悲劇が伝わるのが、1回報じたらその後メディアで報じにくい、いかに遺族、行方不明の方のことをどう伝えるかは、悲しみは変わらず、思いは変わらない、これは今の課題と言われました。リスナーより質問があり、西岡さん、神戸新聞にいて、取材の原点はやはり阪神・淡路大震災かと聞かれて、原点というと難しい、これは過去であり、ふたつの震災、阪神・淡路の時も逃げていて、今も神戸新聞の同僚・先輩・後輩と阪神・淡路の取材をしているが、西岡さん3年で逃げて、わだかまりがあり、もう一度1回逃げた震災取材から、東北では逃げないという自問自答があるのです。

 そして、被災地の今であり、今西さんは福島を原発で回り、西岡さんは宮城・岩手を見て、宮城でも石巻、亘理は違い、陸前高田と大船渡は違い、津波被害は凄まじいもので、これは終わったが、原発災害は終わっていない。放射能で汚染された土地がそのままであり、宮城・岩手は瓦礫が片付けば頑張ろうなのに、次の復興に向けての福島のしんどいところは、次が見えず、国は勝手に地域を区切り、国は勝手に事故収束と言いここは住めるここの住めないと言うが、人の気持ちが全く付いていない、福島は日本の経験したことのない、チェルノブイリを除いて世界も経験したこともない災害のです。

 ふたつの震災、阪神・淡路は津波はなく、繁華街であり、東日本は範囲が広いが、あまり市街地が少なく、西岡さん、阪神・淡路は都市の局地型災害、東日本は過疎地の広域災害であり、津波地震の違いがあり、もう一つ違いがあるのが政府の姿勢、災害の規模を差し引いても政府は東日本を軽じ、神戸は大きい都市で東京にとって大事な場所で、東北は軽視されている、もうちょっとやり方はあるとのことです。西岡さん避難されている人を取材して、被災者の求めていることは、原発災害、先行き・未来がなく、宮城は救助救援ではなく、求められるのは見捨てられないこと、忘れられないことなのです。東日本は広域型の被害で、原発事故で被災者が日本中に避難され、被災者のケアの仕方が大変であり、どうして一人ひとりが国から、周りから、コミュニティから見捨てられていないかを感じるのである程度生きていける、西岡さん3・11が回るたびに忘れないようにと、どう関るのか、絶えず意識しないといけないと言われました。政府は大きな震災、仮設だけでいいと東京の論理を押し付け、今西さん、阪神・淡路で、三宮の繁華街で被災し、神戸市内の仮設に行っても同じ神戸の中でもつらいと言われ、西岡さん、東北は広くてさらにつらい。被災者の求めるものは、こちら(西日本)の人も何とかしたいが、西岡さんも震災で講演して、被災地以外で被災地にできることは何かと聞かれて、被災地では東北へ行って、観光でもいいから行って友達になり、友達が求めているからこうすると、人間関係を西日本の人がつないでいくべきと言われました。一度、自分の目で現地を見て、現地の居酒屋でもいい、友達の縁、連れを助けるつながりがいる、手紙でもメールでもつながり続けるのが大切と西岡さん言われました。震災・原発報道が減り、もう2年前になるが、現地ではまだ終わっていないのです。原発事故収束と国が言ったことが国民の意識に大きいのです。

 音楽のたね、阪神・淡路の被災地で生まれた曲であり、ソウルフラワーユニオンの満月の夜でした。

 岩手県陸前高田の市会議員、佐々木一義さんに、東日本大震災のことをお電話で聞きました。西岡さんの本にも出られた方で、お知り合いです。  佐々木さん、震災から2年2ヶ月、地震の時は海辺のホテルに勤められて、営業から帰ってきた時に地震にあい、津波が来るとホテルの7階に上がり、大丈夫と思ったが、支配人が逃げようと、バスを用意して、それで高台に逃げて、お客さんの来ている時間ではなく、バスで逃げて、玄関のドアを開けて逃げ、高台から見る津波の模様、海岸に波しぶきであり、松原の木が消えていき、球場の照明塔までなくなり、津波が来て、何が起きているのか分からずだったのです。佐々木さん、消防団にもおられて活動され、町ごと流されて、道路が分からない状況であり、交通整理を佐々木さんされて、町がめちゃくちゃ、道路もない、避難所、遺体安置所もどこか分からない、早く親戚に会いたい、車で送りたくて、そのお世話をしようと道路に立ち、遺体を捜すのもどうしようもなく、自衛隊、警察の応援もあり、道案内、交通整理をされました。
 生まれ育った陸前高田の役に立ちたいと市会議員に立たれて、トップ当選、市会議員の活動、自分の代で元に戻すのは難しい、子供たち、孫たちのために陸前高田をいい町にしたい。高台移転がテーマになり、進み具合は遅い、佐々木さんも被災され、被災した人から見たら遅いが、高台に土地を持つ人もいて、高台を提供してもらい、権利・法制度をクリアするのが難しい、被災者も、市役所も我慢して、大きな目で捉えてやるべきであり、陸前高田、一本松で有名で、観光客も来る、地元のぶどう園のマスカットも有名になり、明るい話もある、今西さん大阪から佐々木さんにエールがありました。佐々木さん、いい町にすると言われました。
 阪神・淡路の復興、道路もきれいになり、高層マンションは出来たものの、1月になると近所の人の孤独死があり、西岡さん、昔の長屋ならこんなことはなかったと聞き、阪神・淡路の教訓は正だけでなく、負の教訓もある、阪神・淡路の孤独死、コミュニティの分断など、負の教訓を維持することも大事、町の復興だけでなく、心の復興もいると言われました。来週は石井さんの司会で東京からの放送です。