昨晩のたね蒔きジャーナル 9/30

9/30(金)

 永岡です、毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」、今日も水野晶子さんの司会、毎日新聞専門編集委員近藤勝重さんの案内で放送されました。今日は小出先生のお話はお休みで、福島の震災遺児や孤児の支援をしてやられる京都の歯医者さん、古田博一さんのお話がありました。


 その近藤さんの一文(小出先生の本に言及)が、毎日新聞に載っています。

http://mainichi.jp/select/opinion/kondo/news/20110930dde012070026000c.html


 そして、飯館村プルトニウム発見のニュースがあり、原発敷地以外から出なかったプルトニウム文科省の微量で問題ないとのコメントが問題だと、近藤さん指摘していました。微量と言う表現でも、そこに深刻さがあるとのことです。


 原発のニュース、シンポジウムのやらせ、女川や泊でも動員、やらせがあったのです。電力会社に動員させ、2006年の女川、東北電力の社員を動員させました。この他、伊方、浜岡にも「国による関与があった」のです。近藤さん、保安院が国策PR機関になっていた、メディアが監視しなかったとコメントされました。原発PRはいろいろあり、アンテナをしっかり張っていたらこういうニュースがもっと入っていたのです。


 そして、震災遺児・孤児のことで、古田さんのお話、何度もボランティア活動をされて、5月になると活動が変わり、医師、ボランティアの行っていないところへ行きました。石巻雄勝へも行き、京都の料理人を連れて行き、食べ物を作っていたのです。


 今回は南三陸の半島の外れに行き、先週水野さんが朗読された場所で、南三陸は行方不明者がものすごく多い甚大な被害があったのです。被災者と一緒に食事、コミュニケーションを取り(前回その余裕なし)、食事を通してのコミュニケーションがニーズなのです。名札を付けて、交流したのです。被災者の方が伝えたいことを、残していきたい、語りたいのです。


 現地の実情とメディアとのギャップは、地域により差があり、瓦礫の処理、片付いたところと、手つかずのところと格差があるのです。光の当たらないところを古田さんがフォローされています。


 子供たちの状況、孤児の子供たち、京都府歯科医師会で支援事業を企画し、震災遺児・孤児の支援を行い、調査をして、分からないことが多い、なら行って直接調べてみて、行政に行って、仮調査で大変で担当の人もはっきりしていないのです。一人ぼっちの子供たち、ほとんどが親戚のところに行き、学校、心の問題は、引っ越しして、地域を離れて、困難性もあり、行政の把握は人数すら出来ていません。


 震災孤児の問題はメディアで取り上げられず、復興のみであり、街づくりの話ばかりだと水野さん指摘されました。行政を動かして行きたいのです。こうしてほしいと、プライベートな情報があり、直接支援が難しいのです。離れたところの子供たちのフォローは行政では困難なのです。部署がないと役所は動かない、悲しい習性があるのです。


 古田さんは出来る限り現地へ行き、行政に働きかけたいのです。水野さんの体験で、車で沿岸を走っていると、瓦礫の山の上で一人の子供が携帯を延々鳴らしている、これを続けているのです。親御さんを探していたのです、母親の携帯がもし鳴ったら、と思っているのです。こういう映像、テレビで見ない、するとないことになっているのです。


 古田さん、言葉も出ない状況で、具体的に何のサポートが出来るものではないことが分かったのです。支援の道づくりすら難しいのです。


 これが、被災地支援をしている古田さんのお話でした、これを、お伝えいたしました。