昨晩のたね蒔きジャーナル 1/18

1/18(水)

 永岡です、毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」、今日は水野晶子さんの司会、毎日新聞専門編集委員近藤勝重さんの案内で放送されました。

 原発のニュース、定期検査の大飯原発保安院が評価を妥当とする審査を出しています。運転再開に必要な判断は事故後これが初めてで、拙速との批判は避けられず、専門家の意見を聞く会議が開かれる予定が、反原発の市民が入り、モニターではなくナマで聞かせてくれとの抗議があり、そのため別の場所で開催です。原発に批判的な委員が欠席しているのです。

 福島の浪江町から石が放射能に汚染されていたこと、1000か所で使われており、流通ルートは少量だと分からずルート解明に難航、また、庭やゴルフ場に使われていたのです。二本松市は市内の道路に放射線測定をして、高いところはないとのことなのです。近藤さん、予見可能性の範囲で、人を思いやる気持ちがないと批判されました。これについて、小出先生、昨年6月に、建材の放射能について言及しておられるのです。石、砂利に規制がなく、この種のニュースはまだ出ると近藤さん言われました。

 東電は福島2号機内部を内視鏡で調べます。格納容器に穴をあけて、準備しています。水位、水温を測れますが、燃料の確認は難しいのです。

 震災瓦礫、大阪府は説明会を開き、40市町村の90人が集まりました。放射線の専門家による会議を経て、国の基準より厳しい基準でやるとのことです。しかし放射能はゼロではなく、不安もあります。

 そして、小出先生のお話、SPEEDIについて、3月11日の事故で風向きがどうか、放射能がどうか知らせるべきと言うのに、国民より米軍に提供しており、3月14日に米軍、日本には23日で、これについて、「日本と言う国がどこに目を付けているか、象徴的に表れた」、アメリカに配慮(日本はアメリカの属国)して、自国民に情報を与えない姿を示していると言われました。文科省は米軍支援のためと言い、小出先生笑われて、風向きにより米軍は逃げており、しかし住民は被曝した、文科省の責任の取り方を聞きたいのです。

 この9日間に、アメリカは自国民を80km圏外に避難させており、日本国民もそうすべきであり、飯館村も避難しないといけない、相馬市の人が汚染のひどい飯館村に避難することもなかったのです。

 このSPEEDI、内閣府の安全委員会、避難指示をどうするかを見直しして、SPEEDIは信頼性が低いから使わないと言い、小出先生失笑、リスナーも批判し、小出先生、SPEEDIはチェルノブイリ事故を経て、自国の住民を守るために計算するシステムを作ったのですが、25年、130億円使い、原子力を進めた人が、何を考えてやってきたのか、問わないといけないのです。

 近藤さん、刑事事件なら、情報を提供しないのは不作為犯であり、作為犯は別だが、不作為犯は政治と一体化した原子力行政の姿と言われました。安全委員会、事故直後は炉心のデータがなく仮のデータで計算し、汚染地域を正確に予測できない、実測でやると言い、小出先生は実測の重視は良いものの、実測には限界があり、緊急時には限られたデータしかなく、計算シミュレーション、SPEEDIがあるのに、意味がないと言うなら、どう責任を取るのか、小出先生は刑事責任を問いたいと言われました。近藤さん、結果を取り繕っていると言われました。

 原発の寿命、40年にすると言っていたのに、「例外」があり、20年延長できる、リスナーからも突っ込みもあり、車でも何万kmでアウトの目途があるのに、小出先生、40年と細野氏が言ったときに、40年までは動かしていいという意味であり、小出先生はすぐに止めろと言っており、細野氏の主張がひどいと思われたのです。

原発の継続という意味で、さらに20年延長、原子力を進めてきた人たちの巻き返しで、リスナーより、圧力容器、配管の取り換えは出来るかについて、配管は取り換えられるが、圧力容器はダメ、原発1基で電気ケーブルは2000kmにもなり、その確認は、図面があれば出来るが、古いものでは図面が残っておらず、小出先生のところでも昔の図面がないこともあり、日本の原発アメリカに作ってもらったもので、チェックする力もなく、古い原発にはケーブルの図面がないこともあるのです。

 今日は、SPEEDIと図面についてお知らせいたしました。


続いて、大阪の遊郭飛田新地についてルポしたフリーライターの井上理津子さんのお話がありました。「最後の色町・飛田」、地下鉄は動物園前で、歴史があるのにマスコミで語られなかった、飛田の人が語りたくなかった、そこに12年間通ってノンフィクションを井上さんが書かれました。

 リスナーより、男には書けないとの声もあり、そういう感想も多いが、井上さんはそうは思わないのです。上から目線がなく、ここまで本にできたと読者の感想もあり、風俗業の店が並んでいる街であり、飛田の町は、風俗と言われるのとニュアンスが異なり、水商売と言っているのです。意味合いは水商売は喫茶店などであるが、それと同じとの意識があるのです。

 近藤さん、大阪におられたときに百番と言う店があり、利用した、昔の遊郭を飲食店にしているのです。大正7年飛田はスタートで、その2年後に出来たものです。今は、遊郭が158軒、料亭としての届け出のある店があるのです。

 女性で、飛田新地を夜歩いた人は少ないと水野さん言われ、しかし百番は行く人が多いのです。水野さん、以前に飛田に行かれて、大阪のことを知るならここを見ておけと言われて、男のような格好でおいでと言われたのです。各お店の玄関先に、女性がおられて、ピンクの照明の中にあるのです。初めて歩くときは緊張したのです。見学者として歩くのが失礼と水野さん言われました。井上さん、それはレベルが高い、何やここは、であったのです。

 ここほどインタビューしにくい街はなく、それに12年通ったのは、1999年の12月に行き、最初は女の来る町ではないと塩をかけられ、しかし、それでライター魂に火を付けられ、最初はショックで、しかし自分でバリアーを作っていた、近づいていくうちにバリアーが融けて、心を開いてくれたのです。

 近藤さん、東京のそういう町を舞台にしたものはよく読んでいる、飛田を歩き、社会部記者として、警察はどう見ているのかと感じ、井上さんも警察に聞きに行ってなぜ取り締まらないかと聞くと、届け出を出してやっている、他の風俗の取り締まりが忙しくて飛田に手が回らないと言われて、町も助け合い、保安で、苦情の出ないシステムがあり、取締りの必要が少ないのです。近藤さん、いわく言い難い説明と言われました。

 水野さん、戦後の混乱期は知らないが、それと変わっていないと想像される街であり、東京にはない街なのです。井上さん、12年通い、女性の人が軽い感じで来ている町と思っていたが、そういう人は一人もいない、現在の社会的なシステムから外れた貧困の人が、そこで生きてこられたものです。

 ここで働く女性の多くが、レイプされた経験もあり、近親者の被害に会い、あるいは貧困で学校に行けず、とかで、一人で生きていくしかない人の世界であるのです。一人で生きて行けなくなる年齢が、異様に早い、生まれた時から親の保護になかった人もいて、ぎりぎりで暮らす中で、飛田が救ってくれたところもあるのです。

 いろいろな意味の貧困が飛田を作り出しているのです。この町がなければこの人がどうなっているか、というものもあるのです。

 近藤さん、大阪に飛田がある理由は、佇まいとして残っているのは大阪であるとのことが語られました。


※さきほど送りました朝日放送「キャスト」下記のyoutubeの17分からに隠し撮りが出てきます。
http://www.youtube.com/watch?v=llO7pq70Vsc