昨晩のたね蒔きジャーナル 5/8

5/8(火)

 永岡です、毎日放送ラジオのたね蒔きジャーナル、今日も水野晶子さんの司会、毎日新聞ほっと兵庫の平野幸夫さんの案内で放送されました。今日も小出先生のお話はお休みで、小出先生ニューヨークに行かれて、今朝はテレビに出られて、現地で坂本龍一さんと会ったそうです。小出先生、明日出られます。

今日は沖縄の本土復帰40年(5月15日)、上田崇順(たかゆき)アナウンサーが大阪の大正区此花区の、大阪にいる沖縄出身者の声を特集しました。

 原発のニュース、枝野氏、この夏の電力制限について、過去何十年の原子力政策の責任と言い、野党には、政府の原子力安全規制が後手に回ったとして批判されます。枝野氏、関西圏に制限令を出すかについて、需給の厳しさを認識していると言うのです。水野さんも平野さんも、枝野氏の言うことが良く変わると言い、1月27日には夏に電力使用制限なしで行けると言っていたのに、日本の産業に大きな影響のないようにと言っていたのにこの始末で、夏の関電の予測、不足が16→14%になり、しかし枝野氏は制限令を出す可能性があると言いだし、政府も関電も再稼働に向けて決めており、それが出来ないのでいろいろ言っており+事故対応のまずさ(直ちに影響なしと国民を欺いた)、この人の辞書に謝ると言う言葉はないのかと平野さん指摘し、枝野氏の言葉は国民の支持を失っている。弁護士だから話術は立つが、それだけと言うことでした。

 東電、西沢社長が辞任し、広瀬氏が後任。勝俣会長の後任は下河辺氏で、広瀬氏、企画・営業を担当し、事故の後は被害者賠償の担当で、しかし企画・総務のトップが社長になってきた東電には異例の人事だそうです。企業体質の改革、東電の社員が社会からどう見られているかもう少し敏感になると言い、しかし今月にも家庭用電気料金の値上げであるのです。

 核燃料サイクルを今後続けるか、原子力委員会、当面判断を先送りと言っています。国の原発政策が決まるまで、今日は結論がまとまらず、最後の結論は来週なのです(泣)。委員会は再利用するのと、地下に埋めるのと比較して、六ヶ所村の再使用が遅れており、「留保」をどう位置付けるか分からず、しかし、この委員会の議論を元に政府が続けるか、決めるのですが、どう決めるのかと水野さん突っ込んでいました(泣)。

 そして、上田さんのルポ、沖縄復帰40年で野田総理は沖縄に行くものの、平野さん、セレモニーと一喝、沖縄の人が将来喜べるようにすべきなのに、オバマ氏との会談でも何も言っておらずであり、野田氏を沖縄県民がどう迎えるか、沖縄はアメリカの占領下にあり、その時代は水野さんだけでなく、平野さんもあまりご存じないのです。

 で、上田さん、大阪市此花区役所にいて、1972年は上田さんの生まれる前で、此花区役所に、沖縄県祖国復帰記念の時計塔があるのです。高さ3mの3面から見られる塔であり、此花の沖縄県人会の人が建てたのです。当時101万円出して立てて大阪市に寄贈したのです。大正区だけでなく、此花にも沖縄の方が多いのです。

 建てられた要旨は、戦争で戦場になり、27年間異民族支配された。72年に祖国復帰の宿願が達成されたということなのです。戦後、奄美から南はアメリカの支配で、強制的に土地の接手が行われ、普天間は1945年にアメリカが奪ったところなのです。占領下で普天間は拡大され、27年間好き放題にされたのです。

 米軍基地が大きくなると言うこと=周りの人の土地が奪われることであり、沖縄統治下のことを、沖縄の方に聞きました。

 「やはり、今でも、みんなに分配する。自分たちの家族の家に入り、18軒の家族が入り、豚小屋にもきれいにして入り、自分たちの家でありながらアメリカの家であり、自分たちの勝手にならないのです」、山から戦争から逃げて、那覇から避難して、自宅はアメリカに抑えられ、自分たちは家畜小屋に入っていたのです。収容施設はテントで、おにぎりがもらえて、収容された方が(自分の家に帰るより)良かったと言われるのです。

 「自分たちの島を売り、配給の赤いコメを買って食べた。自分たちの米は高く売れて、それで安いアメリカ米を買いその差額で生活していた」、沖縄に大きな企業はなく、米軍基地で働くしかない。当時本土は高度経済成長、国際的地位拡大なのに、沖縄は大変であったのです。食べるものすらなかったのです。沖縄では食べていけないと、大阪に出てきた人があるのです。先に出た親戚を頼り出てきたのです。沖縄の人が大阪に多いのは食べるためであったのです。

 沖縄と大阪の違い、「どんなに働いてもお金は見られない。山からススキを借りて1セント2セントで売り、お金にはならない。1ドル360円時代、大阪で500円とは大きいお金であったのです」、会社務めだと、沖縄で1年はたらいても賃金が違い、沖縄で初任給7200円、大阪では建設業で3万円、4倍以上の差なのです。戦争の後体を壊して、親が病気、兄弟が5人いて、それを食べさせるためにみんなで大阪に来て、暖を取るのに苦労したのに、大阪で仕事しないと食べられないのです。

 27年間、大阪市より沖縄の米軍基地が大きくなり、さらに沖縄の人と本土の人が分断され、パスポートが要り、子供を置いて帰らざる人もいたのです。沖縄振興の予算、40年間で10兆円あるのに、失業率は復帰の時より増えている。一人あたりの県民所得も全国平均の7割で、第2次産業、本土の企業が受注するので、県外企業に流れて、沖縄の地元企業が育っていないのです。

 政府は産業振興策を出し、沖縄の人がそれを欲しがるのは当然で、沖縄は一括交付金を求めて、自由に使えるお金が欲しいのに使い道の決まったものしかもらえず、沖縄の望むものは出来ず、雇用が広がらないのです。

 先ほどの方、戦争が終わっても、まだ引きずられているのは残念。子や孫につらい思いをさせたくないと言い、此花の時計塔、建てた中心の世代は今80〜90代、体調を崩されてその方に直接話を聞けない。沖縄2,3世は関心が高まらず、沖縄県人会に40世帯、この時計塔の管理をどの世代に引き継ぐべきかが問題なのです。今日話を聞いたのは70代の方で、それでも後継者世代であり、体験した世代の話はなかなか聞けないのです。こういう話を聞きづらい40年なのです。基地問題のルーツがここにあります。

 二度と戦争のないようにと時計塔が作られ、しかし、二度と戦争がないのを沖縄が感じるのはいつなのか、なのです。沖縄から米軍は飛んでいるのです。

 リスナーより(62歳)、こんな暮らしと驚いたとメールがあり、40年前と変わっていないと平野さんは言われました。土地の2割が基地であり、基地のない島をと言う思いを潰すものを強行採決されているのです。

 私は沖縄と聞くと、ウルトラマンの生みの親である金城哲夫さん(故人)、上原正三さんのことを思い出します。こういう環境からウルトラマンが生まれたと認識しました(金城さんも上原さんも、ウルトラマンで沖縄問題を告発しているのです)。これを、お伝えいたしました。