昨晩のたね蒔きジャーナル 金曜版

4/20(金)

 永岡です、毎日放送ラジオのたね蒔きジャーナル、今日も水野晶子さんの司会、毎日新聞専門編集委員近藤勝重さんの案内で放送されました。今日は自然死とそれを邪魔する医療の内幕について、医師の中村仁一さんのお話がありました。

 原発のニュース、枝野氏、大飯再稼働のために副大臣を週明けに京都・滋賀に派遣です。国会の審議日程もありこうしたとしていて、大飯以外の再稼働は無理と枝野氏言っています。他の原発のストレステストは規制庁の仕事なのです。自民・公明は規制庁への対案を出し、ここで、2大臣の問責が問題になります。

 プレイバック川柳、今週近藤さんの選んだのは「放射線 飛び散る範囲が 地元です」でした。

 そして、知られざる内幕の特集で中村さんのお話、お電話での出演で、中村さん京都で活躍しておられます。中村さんは特別養護老人ホームにあり、京都で一番歴史のあるところで、一般には延命治療をして、病院はそれをしないといけないところで、中村さんも延命治療、したくなくてもしないといけなかったのです。家族が希望するのですが、中村さん疑問を持たれて、子供の頃の亡くなり方は覚えていて、患者のためなのかと思っていたのです。

 リスナーより、祖父が注射が原因で苦しんで亡くなり、逆にうまく見送れたリスナーもあり、最後は治療すると、痛みがあるとしないといけないが、「何もしないと痛まない」のであり、中村さん、病院時代と、特養時代で違い、病院ではやりたくても出来ない、入所者は85〜90歳、家族もこれ以上苦しめたくないのでこれが出来たのです。

 延命治療、家族の同意でしないのは、一切しない。酸素吸入、点滴もしない、鼻のチューブもしない、食べられないおなかの切開は論外。家族に話して、やりたくない、もういいという家族が対象なのです。人間、生きるためには食べて飲まないといけないが、命の火が消えかかると要らなくなり、無理やり入れると苦痛になり、自然死、実態は餓死で、餓死と言うと悲惨な響きがあるが、死の間際はそれで苦痛がなく、意識もぼんやりになり、いい気持ちであの世に行くのに、日本人は自然に死ぬのをこの50年見ていないのです。最後まで何かやるので、自然死を日本中が忘れている、先祖はみんなやっていたのです。

 中村さん、自然死を300例は見て、これが本当の亡くなる姿で、微睡の中、不安もなく死んでいく、家族も死が怖くないのです。

 近藤さん、年間115万人死ぬ時代で、多死社会になり、一人一人に考えてもらうテーマで、死の質をどうしていくのか、鎮痛剤で痛みを取り、意識もなく死ぬのか、日常を取り戻して死んでいくのか、おめでとうと言う言葉で死を提案することが新鮮であったと言われました。

 中村さん、こうしたら大往生できるのではなく、こうしたら大往生できないと書いており、最後に目をつぶる瞬間に、悪くない人生であったと思えるものを求めるのです。

 近藤さん、最後の瞬間に何が残るのかが問題で、中村さん、日本人は死ぬことを忘れ、医療に過大な期待を抱き、死に方=生き方、生きてきたように死ぬ、今日は昨日の続き、昨日までいい加減な人間が死ぬ時だけいいようにとは行かないのです。最後に反映されるのは今なのです。

 近藤さん、今とは永遠と言われて、中村さん、自分はいつ死んでも構わない、具体的な行動があり、中村さん、70になったら棺桶を作って入られているのです。そうすると、執着が減るのです。最後には財産も地位も持って行けないが、執着心は薄れると言うのです。

 死を日常として取り込む、遺影を毎年撮る人もいるし、余命6か月ならエクササイズをする、やり残したことはないのか、それをやるのがいいのです。近藤さん、余命6カ月は知らない方がいいのではと言い、中村さん、死ぬまでにやることをする(死ぬまでの練習)のです。人生にやり残しているのは何か、なのです。

 ガンだと余命を短めに医者は言い(長く行って短くなったら家族から怒られる)、残される人間が自分たちのつらさを軽くするために、患者に延命してはいけないのです。通夜の席を、先にやるといい。生前葬もいい、余命いくばくもない人がやるのではなく、還暦などと同じで、生きなおすものと言うことなのです。生きることを積み重ね、今までやってきたからと、後悔が少なくなるのです。

 これが、中村さんのお話でした。



 最後に、近藤さんの、幸せの雑学、失敗談は大いに書いたらいいが、自慢話は世の中的にOKかなと言われて、漱石日記を読み、漱石の娘が活動写真を見て泣いたと自慢している。北杜夫さん、子供や孫を天才と思い、そういう親は9割いるのですが、その孫が4歳の時に川のように泣き、こういう自慢話はいいが、今の祖父母は孫に甘い、昔は挨拶とかうるさかった。

昔の祖父母には、外に出して恥をかかせないと言う配慮があり、今の祖父母は50代の人、恥を無くしてきた世代で、恥をかかせないより、もっと伸び伸びとのことがあり、また昔はものがなかった、これも孫への甘さ、厳しさになると言うことでした。大事なことを失いつつあると、電車、バスに乗っても近藤さん思われるのです。近藤さん、電車の中の行儀は孫に厳しくしていると言われました。

 今週もたね蒔きをお伝えいたしました。