昨晩のたね蒔きジャーナル 金曜版

2/10(金)

 永岡です、毎日放送たね蒔きジャーナル、今日も水野晶子さんの司会、毎日新聞専門編集委員近藤勝重さんの案内で放送されました。今日は金曜版で、小出先生のお話はお休みです。

 プレイバック川柳、川柳が野田総理だけでなく、田中防衛大臣のためににぎわっています(笑)。近藤さんの選んだのは、「1年が 経ってやっとの 復興庁」でした。田中大臣、コーヒーは家でゆっくりと言うものもありましたが、家には「あの人」がいるためゆっくりできないとの突っ込みもあり(笑)、田中氏の川柳で2,3週間楽しめそうです(笑)。

 そして、水野晶子のどないなっとるねん、は、復興庁の発足により、東北出身の歴史社会学者の山内明美さんのお話でした。「こども東北学」を書かれました。山内さん、今の東北に暮らす子供たちに、と書いたもので、山内さん宮城の南三陸に実家があり、実家に津波の被害はなかったものの、周囲は被害です。

 南三陸の状況、故郷も廃墟の広がりになり、爆弾を落とされた戦場のようと書かれて(神戸も同じだ)、子供たちにメッセージを、との思いで、高校時代の93年に大凶作があり、その記憶が生々しく、今大学院で稲作を学び、子供たちはこれを一生引きずる、93年の気持ちを思いだし、自分に語れることを、と書かれたのです。

 93年の凶作、細川政権、バブルのはじけた後で、米の輸入で井上ひさしさんらが闘っていた頃です。山内さん、自分の田んぼもあり、凶作で田んぼを見て泣き、科学技術も進んでいく中で、1枚の田んぼから600kg取れるところが、20kgしか取れなかった、ゼロに等しい、江戸時代なら餓死者が出たところなのです。三陸沿岸、凶作の多い場所であり、飢饉があるところなのです。

 今、東北の抱えてきたマイナスの歴史が、子供たちに伝えたいという思いで、津波が思い出させたのは、食料供給で品種改良などで食料不足がなくなったものの、食べられて当たり前になり、不意にこういう出来事が起きると、忘れてはならない。原発を考えるのにもつながるのです。地震津波、豪雪で苦しんだ場所、そこが東北です。

 近藤さん、地方の思い、山内さんの思いが理解できて、人間として変わっていく東北を憂い、変わらない田舎に対する思いがあるのです。近藤さん愛媛の出身で、地方は変わらず残っていてほしいという思いがあり、山内さんも同じ思いであるのです。地方で過疎化が進み、外国人のお嫁さんが増えて、今までの村とは変わり、そして津波で、過疎化が早まり、町の風景も変わり、どう復興していくのか、課題とのことでした。

 山内さん、故郷のこたつに炭を入れて、標準語を学んでいた世代であり、ホームルームで標準語の練習もした世代なのです(家では自分を“おら”と呼ぶのを「私」と言い換えないといけない)。関西弁は東京でも通じるものの、東北弁は圧倒的に通じないのです。東北の我慢強さを生み出したのは、災害、凶作、飢饉などが積み重なってのものなのです。

 どうして東北に原発が多くあるのか、歴史もあり、米を調べて、穀倉地帯に原発があり、その意味をどう考えるかがテーマなのです。東北と言う言葉、その疑問がこの本にあり、なぜ東北と言うのか、どこかから見た方角が東北であり、つまり、東北が世界の中心なら東北と呼ばない。誰が真ん中なのか、ということに気が付いたと水野さん言われました。関西も、どこから見て西なのか、なのです。

 最後に、近藤さんの、幸せの雑学、吉本の100年の歴史、吉本新喜劇、梅田花月で61年に放映したのが初めてで、土曜の正午に新喜劇をやり、大阪の子は駆け足で帰り家で新喜劇を見る習慣があり、東京の子はランドセルを放り投げて遊びに行くのに、大阪では、万博前後の10年は新喜劇、笑いがおけいこ事に変わるものとの指摘があり、言葉の絶妙さを競うもので、平清盛、商業的で開放的なのが浪速の文化、大阪では武士階級の存在感が希薄で、お上をおちょくる文化が大阪であり、政府に頼らず自らやることが大阪のお笑いということでした。笑いの都、商いの都が大阪の産業に生きており、吉本のお笑い100年は、大阪がこれからどこへ行くのかを見るものだと言われました。私も、新喜劇のファンとして納得です。

 今日は東北のお話をお伝えいたしました。