昨晩のたね蒔きジャーナル 12/8

*昨晩のたね蒔きジャーナル 12/8

12/8(木)

 永岡です、毎日放送たね蒔きジャーナル、今日は千葉猛さんの司会、毎日新聞大阪本社論説委員の近藤伸二さんの案内で放送されました。


 原発のニュース、事故処理と賠償で、政府が東電に公的資金の投入です。廃炉の費用は東電になく、政府の資本注入で1兆円規模になり、株式発行を拡大して政府が引き受けることになり、東電は国有化されます。近藤さん、金融機関の公的支援は一時的な危機を乗り切るためのものだが、今回は廃炉だけでいくらかかるか分からない、経営が成り立たない、それを国が引き受ける、実質的に解体に近い(発送電分離)、国が深く関わる、東電の抵抗は強いが、国の強い意志を感じると言われました。廃炉+除染で数兆円、東電は値上げで対応したいものの国民の理解は得られず、選択肢はないのです。


国民、被災者へのメリットは、東電が破綻したら賠償が出来なくなり、これを避けるために東電を存続させ、国有化するものとのことです。


福島の汚染水、法律の規制値以下にして海に放出する動きがあり、漁業関係者が抗議です。あと2〜3万トンしか置けず、農水省、漁業関係者は反発し、東電は放出するかは決めていないとし、鹿野大臣は、それはまかりならぬと言っています。近藤さん、4月に高濃度汚染水を放出し、国際問題になり、今回は処理した後でも、国際問題になる可能性もあるとのことです。保管で工夫せよとのことです。


政府は二本松市の米の出荷停止で、基準を超えるセシウム検出のためで、停止は4例目、3つの市の5つの地域になります。基準を超えた米は流通していません。


美浜原発2号機、関電は手動で停止し、排水処理設備を超えるので停止、定期検査より10日早くの停止で、電力需給に大きな変わりはありません。


全国の住民が伊方の差し止めを求める訴訟を起こし、300人の原告で、巨大地震の恐れがあり、国の耐震指針に誤りありとのことで、地震の前に原発を止めたいと言っています。


 そして、小出先生のお話、リスナーから、東電の放射能汚染水を浄化して海に流しても大丈夫かについて、規制値以下にして流すと言うものの、「放射能に大丈夫と使ってはいけない」、どんなレベルでも危険で、漁業者が敏感になるのも当然である。小出先生も法令を守り仕事をしてきた、それが許容されると思っていたが、東電が法令を守るなら認めるしかない、しかし、今まで政府、東電のやってきたことがひど過ぎた、監視しないといけないが、重要性に目を配り、地下に汚染水が流れているのをマスコミが報じず、国もトレンチ、ピットに水が漏れている、これがはるかに大事なのです。


 これ、汚染水保管が行き詰ったためで、「対策は考えられない」、水は増える、いつかは行き詰る、いつかは流さないといけない、勝手に漏らすか、法令により流すか、なのです。


 そして、伊方原発地震による事故の恐れで差し止め訴訟、小出先生は訴訟で証人になったのですが、伊方原発のこと、原発そのものが途方な危険を抱えている、伊方は中央構造線と言う日本最大の活断層の上にあり、浜岡だけでなく伊方も問題なのです。千葉さん、日本最大の活断層の上になぜあるのかと問われて、日本沈没と言う小説があり、中央構造線で日本が割れることを描いており、それほど重要な活断層であり、これを評価しないといけないと裁判にしたのに、科学的な主張は住民が圧倒的に勝ったのに、それでも裁判所は国を勝たせた、このことに千葉さん絶句で、小出先生納得できない、裁判に絶望されたのです。


 リスナーから、福島の1〜4号機から放射能が出ているのか、冷やすための注水はいつまでやらないといけないかについて、冷やす作業は何年もかかり、何年かかるか分からない、放射能は出続けている、どうやって止めるかを考えつつ仕事をしないといけない。年内の冷温停止はあり得ない話なのです。


 また、放射線管理区域と同じになり、チェルノブイリと比べて、日本はどれくらい深刻かについて、チェルノブイリでは管理区域は14.5平方キロ、日本全体38平方キロで、日本の本州の6割を管理区域にしないといけない、日本では福島が海岸にあり、放射能の大半が海に落ちて、しかしそれでも2万平方キロは管理区域にしないといけないのです。放射能は、来年の今頃もあるのかについて、セシウム134と137、134は2年で半減、137は30年かかり、137はなくならない、少しずつは減るものの、セシウム137は何十年単位ではきれいにはならない、1年経って134は7割になり、137は減らないのです。


 今日は、リスナーの質問特集をお届けしました。


続いて、昨日に判決の出た大阪空襲訴訟、原告の安野輝子さんと、この問題を取材しているジャーナリストの矢野宏さんのお話がありました。


 安野さん、判決を聞いて、「司法の世界に正義はないのか」と思われたのです。納得できたものはない、14回の戦時災害援護法が廃案になり、もう裁判しかないと言うことなのに、残念なのです。裁判で、謝罪と補償、再び戦争させないことを確約が欲しかった、国より謝罪も補償もなかったのです。治療費も国から出ていないのです。国の姿勢、非情な国だと思うのです。命を大切にしない国だと思ったのです。


 提訴は2008年の12月8日、安野さんは裁判所すら知らず、しかしもう裁判しかないと、弁護士を探してたどり着いたが、国の姿勢が、こんなたくさんの犠牲を出して戦後は終わっていると言うのが、国も政治家も、異常だと思わないか、なのです。


 この訴訟が国を戦争に向かわせることを防止することになると安野さん思っておられるのです。


 矢野さん、この訴訟を見ていて、「とても冷たい判決」、原告は初めての法廷で体験を涙ながらに語った、その心の傷にできたかさぶたをはがして訴えたのに、裁判官は聞かなかったのです。矢野さん、判決に関して2点、戦争による損害は受忍論が出るかと、防空法(国民に逃げることを禁じた)についての判断、空襲被害は偶然の災害ではなく国による人災だと主張し、しかし、裁判所はくみ取らず、受忍論は出ず、防空法は判決に生かされなかったのです。


 安野さん、防空法で逃げられない中で空襲、被災時は幼稚園の年長であり、爆弾が家の近くに落ちて、足を直撃、足はちぎれたのです。すぐに病院にも行けず、空襲警報の解除後に病院に行き、たくさんの人が病院にいて、手術の必要はなく、赤チンを塗るしかなかった、治るのに時間がかかったのです。その後も大変で、学校、仕事は、昭和21年小学校入学、義足も車椅子もなく、疎開先の学校で、竹で松葉杖を作ってもらい、不自由で、雨の日は休まざるを得なかったのです。周囲の人は松葉杖を隠すとか、通うこと自体が難しく、みんなについていけなかったのです。


仕事は、障害があり、小学校しか行けず、中学はもっと遠くて通えなかった、友達ともなじめず、勉強にも付いていけず、疎開地から大阪に帰り、母の元で、大阪で職を得て、大阪でも外へ出るのは人の視線を感じて、出られなかったのです。縫い物などでやっていたのです。その後、手に職を付けて、戦後、洋裁の需要があり、教えてもらい、暮らしてきたのです。


どうして戦争が起きたのかについて、母に言った、なぜ戦争に反対しなかったかと、母を困らせたのです。母は、気が付いたら戦争が坂道を転げ落ちるように始まったといい、安野さん、納得できなかった、イラク戦争自衛隊イラク派兵、日の丸の小旗で送るのを見て、提灯行列での出征を思いだし、戦争に巻き込まれるのはこういうものかと思ったのです。


 安野さん、今後は、控訴して、もう一山登らないといけないと言うことです。


 矢野さん、時間との闘いであり、先月も原告が一人79歳で亡くなった、高裁で闘うので終わりではなく、2,3年かかり、平均年齢78歳、一日も早い解決が望まれるのです。


 安野さんに国から一言も謝罪がない、それを千葉さんも驚かれ、国が主導した戦争であり、軍人、軍属に年間1兆円の年金、補償はある。沖縄、広島、長崎にも少ないが援護されず、民間の空襲被害者は何の補償もない、差別である、これをなくさないと、戦後は終わらないのです。


 安野さん、国に言いたいこと、戦争の後始末をきちんとしてほしい、再び戦争を起こさせない、全国火の海になった、黒煙に消えた人も放置されている、戦争の悲惨さ、怖さを知っているものとして、訴訟に勝ちたいのです。この人たちは犬死である。


 今日は、大阪空襲訴訟のお話をお伝えいたしました。