昨晩のたね蒔きジャーナル 9/12

9/12(月)

 永岡です、毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」、今日も毎日放送アナウンサーの水野晶子さんの司会、毎日新聞ほっと兵庫編集長の平野幸夫さんの案内で放送されました。平野さん、福島原発警戒区域までいらっしゃったそうです。平野さん、現地で、言われたとおりの事象が起きており、秋で実りの季節なのに、それが悲しい風景になっていると言うことです。今週は被災地からの報告が続きます。


 原発関係のニュース、今来たニュースで、ロイター通信の報道で、「フランスの原子力施設(核廃棄物処理施設)で12日、爆発事故」(マルクール)が起きて、1人死亡、4人負傷(1人重症)、地元の消防は放射能漏れの危険があると言っており、しかし、フランス原子力安全局は放射能漏れはなしと言っています。死亡の原因は不明です。


 枝野氏の経産省大臣就任、平野さんは反省もなく、ただちに避難させるべき責任者が影響なしと繰り返しており、エネルギーの見直しは経産省年内にまとめるのに、隠蔽にかかわった人がやれるのかと言うことで、経産相は本当に必要なのか、高度成長時にはあったが、もう役割は終わった、縮小、なくてもいい(現場がない)とのコメントがありました。原発既得権益、業界擁護であると指摘がありました。


 玄海原発やらせ問題、古川知事はやらせを否定しています。九電の受け止め側の問題と釈明しています。


 そして、小出先生のお話、今入ってきたニュース、フランス南部のマルクールでの爆発事故、初めて聞いた、どうしたことか、不安だと言うことです。地元の消防は放射能漏れの危険有り、フランス警察は汚染なしと言っており、放射能漏れがあるかないか分からないのですが、「分からない、私も知りたい」ということなのです。マルクールは原子力のメッカ、放射線測定器はたくさんあり、測るのは容易(常時計っている)、測るものが壊れている可能性はない(山ほど測定器有り)、放射能のデータはある、隠している可能性もあるとのことです。


 枝野氏が経産相大臣になったこと、政治に絶望しているが、枝野氏は事故を過小評価した張本人であり、その責任を明らかにして欲しいが、自民党より、枝野氏が対応できなかったと言っているのを聞いて笑った、自民党こそが原子力の巣窟、「悪の巣窟」であり、自民党時代に事故ならもっとひどかった、菅総理ベトナム原発を売ろうとしていたが、事故で少し反省し、ベトナムへの輸出に消極的になり、署名もしなかった、海江田氏が代役で署名したのですが、枝野氏は菅総理官房長官菅総理の思いを受け継いでほしいとの小出先生のことです。


が、野田政権、ストレステストで再開の予定なのです。菅総理脱原発依存、代わってきていると小出先生、水野さんも思われました。


小出先生の本が出て、この番組で紹介したお話であり、リスナーより読んだとの声があり、事の重大さを忘れている半年ではないかと言うことについて、小出先生はよく分からないが、自分の話を聞いてくれる場所を作り、小出先生の考えを出す場所を作ってくれたことに感謝するとのことです。


 原発事故は厄介で、今どうなっているかが分からない、現場に行けない、見えないのです。


 政府、東電が事故を過小評価したいとして、人々は汚染に気づかず現在に至っていると書いてあり、リスナーも、事故までは原発に無知だったが、たね蒔きジャーナルで問題意識を持ったとの感想で、小出先生の苦悩が分かったとの感想も寄せられました。これは、皆さんの苦悩だと水野さんもいい、知りたくないけれども、知らないといけないという気持ちがあり、小出先生、こんな事故を望まなかった、事故が起こらないよう何とかしたかったが起きてしまった、無念であり、起きてしまったのは事実であり、それを夢と思いたいが、どんなに苦しくても、「知らないより知ったほうが良い」と言うのです。


平野さん、野田総理が除染現場を見た翌日に現地を見て、政府の首脳が除染が可能なように演出しているのがおかしく見えた、住民が出ないようにしていると言うことなのです。広い田んぼなど除染できないと平野さんも感じました。しかし、野田総理を見たら除染可能と見えるのですが、150kmくらい車で通ったが、閑散としている、飯館村は作付けもしておらず、雑草伸び放題、平穏な日常を奪ったことへの怒りが湧き起こったと平野さん言われました。


 除染について、「基本的に出来ない」が、学校の校庭などはやらないといけないものの、田畑を除染など出来ない、山林も除染は無理なのです。そこに人が住んでいるなら、子供の住んでいるところは除染しないといけない、除染は剥ぎ取るだけ、放射能を別の場所に押し付けるものなのです。除染はできないと言うのは、知りたくないが、知っておかないといけないことであり、そこから次の生活設計をすべきなのです。


 今日の小出先生のお話は以上です。核大国、フランスでも事故の模様です。これを、お伝えいたしました。


続いて、被災地から、亘記者が報告します。仙台空港であり、先週来て驚いた、津波の押し寄せる映像を見て、3mの津波が来て、6月にも来たが復旧工事の最中、売店、トイレも仮設であったのに、今見たら仙台空港はこんなに大きかったのかと言うことで、普通の空港まで復旧したのです。6月は作業着などの人が多かったのに、今は普通の格好です。


 展望デッキ、無料で開放し、多くの人が来ていました。子供が来ていて、楽しみにしていて、早く復興して欲しいとの声(お店を流された人)がありました。人が亡くなった、家が流されたと普通に言い、それが驚きで、もっと大変な人がいる、亘さん、大変な状況で過ごされたことを実感しています。 


 津波の時に空港に避難した奇跡の避難劇があり、特別養護老人ホームの人、空港に避難することは想定せず、急遽空港を選び避難して助かった、空港から1.5km離れた老人ホーム(海岸より250m)、要介護度4〜5の重い人であり、全員自身で歩けず、高齢者96人、職員48人が空港に避難して助かり、事務長の鈴木さん、最初ドーンと来て、ラジオで津波の情報を知り、7mの堤防があるもののだめで、避難となり、当初津波は4.5mの情報、それが10mとなり、避難しないとダメとなりました。


避難先、去年2月のチリ地震のときも避難しており、その時は別のグループホームに避難(10kmに1時間40分かかる)していたが、間に合わないので、空港があり、想定していなかった空港に急遽避難し、マイカーなどで3往復して、津波が3時半に来るので、鈴木さんがホームを出たのが3時20分、ホームの時計が3時50分で止まっており、ギリギリ助かったのです。被災した老人ホームが多かった中、「ラジオで情報を確認して空港を選んだのが良かった」、空港のスタッフも手伝ってくれたのです。奇跡の避難だったのです。


 ラジオで情報を確認し続けられたのが良かったのです。ここは、比較的津波の来ない場所なのですが、10mの津波をラジオで知って避難して助かったのです。


 この、亘さんのお話をお伝えいたしました。