天龍村

江戸情緒漂う向島を祝福芸で巡った翌日は、長野県天龍村のディープな神楽へ。

前日の疲れは残っているが、神楽となると話は別である。
レンタカーを借りて上島さんと多摩美の学生(全員女子)を乗せて6名で一路中央高速を走る。この日は平日だが年末に実施しなかった1000円料金の振替日なので助かる。
しかし、レンタカーのナビが古く、新しくできた飯田山本のインターが認知できない。また高速を降りて天竜へ向かうときも、ナビに従って走ったら二回道に迷った。

でも余裕を持って出たので5時前に天龍村坂部に到着。ちょうど別の車で来た中沢さん関係の編集者のHさんなどのグループと一緒に着いたのはびっくり。氏子代表で中沢さんとも親しい関さんのお宅に大勢で上がり込み、食事をいただく。柚子みそや手作り蒟蒻の美味しいこと。年に一度の祭りではあるけれど、大勢来たので玄関まではみ出でしまう。

坂部は別冊太陽の『お神楽』を編集中の2001年に来て以来だから9年ぶり。あの時は夜でナビもなかったが、迷わず着いたのはなんでだろう?
その01年の時は大雪で中央高速が一時閉鎖になり、夜になって着いたので最初から見ることが出来なかったのだが、今回は集落にある「火王社」から山の上の「大森山諏訪社」までの「お練り」から見ることが出来た。6時頃から時間をかけてゆっくりと山道を登っていくのだが、歌とお囃子が面白く、「ヒェーイ!!」と時々叫ぶのが非日常的でいい。
このお練りは「新野の雪祭り」の「お上がり」につながるのかしら。

そして諏訪社に着くと、巨大な焚き火に火が付けられ、伊勢音頭と願人踊りが繰り広げられた。伊勢音頭は「後付け」だろうが、このあたりからもう祭りの興奮状態に突入する感じだ。

そのあと誘われて僕たちは賄いをするような建物に入り、祭りをする人たちと「大庭酒」という次第に参加。御神酒をいただく。場所は神社を焚き火越しに見る位置で、拝殿でも神事や女の子による「浦安の舞」などが行われていた。「浦安の舞」は昭和に入ってからの後付けである。
祭り関係者は若手が多く、女子大生三人もいたので、なんか合コンのようだ(笑)

そして「順の舞」から「坂部の冬祭り」の演目を見始めた。
前半の見どころは「花の舞」。「奥三河の花祭」と同様の子どもの舞だが、ここではいくつものパートに別れていて、それを同じ四人の少年がずっと舞い続ける。2時間くらいは舞っただろうか、これはもう、たいへんなものである。最後が「花返し」で、観客が拝殿の前で肩を組み、左右に揺れながら「かーやーせかーやーせ!!きーよーめーてーかーやーせ!!」と囃すのだ。拝殿でも宮人これを煽るからもう、すごく盛り上がる。

これが終わった時点でだいたい0時。もう運転手は御神酒ストップだ。雨も降ってきたし、関さんの家の近くの「さかべ屋」という公民館みたいな施設が仮眠所として開放されているので、そこで休むことにする。
上がってくるときはゆっくりだったので実感がなかったが、かなりの距離を降りた。

もうすでに多くの人がいたので奥の端で寝ることに。学生たちも上島さんも一緒である。

そして、人の声で目が覚めて時計を見ると4時20分。5時くらいから鬼が出てくるからということで起き出す。寝ている学生に「先に行く」と声をかけ、たぶん僕が最初にそこを出たことになると思う。

ところが玄関に僕の靴がない。雨で汚れたので下駄箱に入れずに玄関に置いたままにしたのだが、その場所には似ているけども違う靴がある。僕のはベルトで締めるタイプだが、それは紐のタイプだった。
あちこち探したがない。これはさっき声がした人が間違って履いていったのでは、ということで、もうそれを履いていくことに。上で僕の靴を履いている人を見つけてとりかえればいいや、ということで。

そして歩き出したが、これが大変な山登り。20分くらいかかったのではないだろうか。上に着いたら吐きそうになってしまった。神社では最後の湯立の演目が続けられていて、観客も一番少ない頃だ。靴はまだ見つからず、そうこうしているうちに鬼の演目が始まる。ここの鬼は花祭と同じように真っ赤な衣装で鉞を持って、松明に導かれて出てくる。祢宜と問答をする鬼もいて、このあたりも似ている。お囃子も途中に雰囲気が良く似ている部分があるし。

そして僕の大好きな獅子舞。いろんな獅子頭を見たがここのが一番かわいい。そして舞いはジタバタと飛び跳ねるかんじで、動きもユニークである。御幣と鈴を両手に持って暴れるので、大きな獅子頭は歯で咥えているようだ。これも大変な舞いである。

それから水の王が出てきて湯をはねるのだが、この様子は「遠山霜月祭り」の和田地区のものに動きも太鼓も似ている。面が出たあとは面を着けずに舞う舞がないという進行も遠山に似てるかな。

面からの演目は「たいきり面」「獅子舞」「鬼神面」「天公鬼面」「青公鬼面」「水の王神」「火の王神」「翁の面」「日月女郎面」「海道下り」「魚釣り」と続く。さいごの三つは坂部ならではの面白い演目で、もうやってる方もいろいろ冗談をいいながら、楽しくやっている。魚釣りは木で作った魚を観客に取らせようとして、取りに来た客に口から白い液体を吹きかけるというバカバカしく見えるもの。「三人の漁師が豊漁を祝って四方の恵比寿を祭る場面である」と解説には書いてあるが…。うちの学生が見事魚一匹をゲット!!

魚釣りが終わってだいたい9時。このあとのまた神事的な湯立の演目などが続くが、疲れたので下へ降りることに。我々一行は急な石段を恐る恐る下りるのだが、宮人のおじさんがひとり、かなりの年配なのだが、着物姿で草履なのにスタスタと降りていく。あっという間にはるか下に消えて、まるで天狗のようだ。これには参った。

そして帰ろうとしたら関さんの奥さんから「朝ご飯食べて行きなさい」と言われ、また上がり込んで食事をいただく。そして時間に余裕が出来たので遠山を回って帰ることに。「かぐらの湯」で温泉に入り、「丸西屋」さんでまたおそばを食べ、熊野神社で気を浴びて、途中吹雪の中央高速も無事通過して、東京へと戻ったのであった。走行距離700km弱。あーしんど。

さすがに疲れたが、3日、4日、5日と今までにはなかった正月を過ごすことができ、よかったよかった。

あ、それで靴だけど、これがなんと誰か酔っぱらいが最初に間違えたみたいで、被害者は僕ともう一台の車の関係者の二人、それも僕のがHさんにHさんのがMさんに,Mさんのが僕にというローテーションでずれていったのである。だから内輪が集まった一瞬に解決したのである。靴をなくしたときはさすがに「今年の縁起は…」と弱気になったが、終わってみればめでたしめでたしだったのである。「奇跡だね」と話した僕たち、結局これは語りぐさとなり芸術人類学研究所の神話となっていくのだろうか。