奥三河

14日、朝7時に部屋を出て、地下鉄を乗り継ぎ8時に都営新宿線一之江駅へ。
ここで今回の同行者と待ち合わせて、車に便乗するのである。
すでにM氏は到着していて、K氏の車を待つ。

K氏は仕事も関係しているのだが、休日は全国の神楽を熱心に見て歩いている人で、ここ最近は僕よりずっとたくさん見ているだろう。大阪の神楽VJに来てくれて以来のつき合いで、あちこちの神楽で顔を合わせてきた。
今回の『神楽と出会う本』でも写真を提供してもらっている。
M氏はK氏の友人だが、また神楽好きで、車中ではあちこちの神楽の話にはなが咲いた。

土曜日の高速は込んでいて、途中で降りたり入り直したり、工夫しながら奥三河を目指す。さすがに何度も行っているので裏道もよく知っている。
ほんとうは別の地区の小林というところで朝の7時から花祭りが始まっていて、友人の榊さんの息子さんが「花の舞」デビューなので見たかったのだが、どうみても間に合わないということで諦めた。

3時頃御園の花祭会場に到着。丁度山のお宮から神輿が降りてくる前あたりに到着。何度も来ている御園だが、神輿に間に合ったのは初めてだ。
尾林克時さんにあいさつをする。K氏も僕も尾林さんにはいろいろお世話になっていて、その二人が一緒に現れたものだから、尾林さんも少し驚いた様子。

湯立などの神事のあと、最初の舞である「撥の舞」が舞われた。花太夫の清水さんによる舞だが、この時間帯はいつもそれほど人は居ないのだが、今年はいつもより観客が多い。そのせいかどうか、今回の「撥の舞」はとてもいい舞で、「この舞が見られたらもう、今回は満足」と言いたくなる舞いだった。

そのあとが夕食休憩。尾林さん経営のそば店「茶禅一」でそば定食をいただく。写真家の巨匠、芳賀日出男さんも見えていた。お元気そうで何よりである。別の知り合いもいたりして、祭り気分が盛り上がる。
会場に戻って、裏の部屋で御神酒をいただく。ここでたんまり飲まされて、轟沈した年もあったが、K氏も同じ経験をしたそうだ。前回来たときに一緒に飲んだ地元出身の人が顔を覚えていてくれて「ロンドンブリッジ!」と声をかけてくれた。前回、「ロンドン橋落ちた」と花祭の「テーホトーヘートーホーヘ」のメロディーが良く似ているという話をしたからである。

舞いが始まったが、しばらく飲み続け、「地固めの舞」あたりで舞処に戻る。
舞を見ていたらK氏が神座という、太鼓を叩いたり笛を吹いたりする関係者の席に誘われて座り、続いて僕も誘われる。ストーブがあるので暖かく、VIP席みたいである。しばらくそこから見ていたら、k氏と共に笛を渡された。どうも笛の吹き手が少ないらしい。祭りのスタッフはたくさんいて、笛を吹く人も多いのだが、他の担当で忙しいらしい。花祭は神座に上がってお囃子をしたり神歌を歌ったり、舞を舞ったりという目立つところ以外にもいろいろ役目があって、接待所でまかないをしている人もいれば場内整理の人もいるし、裏方さんも多いのである。



布川地区の笛はもう何年か吹いているので、簡単なお囃子ならすぐ吹けるが御園はまた少しメロディーが違う。耳で聞いて追いかけてもなかなか合わせられないので、地元の人の指を見る方が合わせやすい。
伝承はこういう風にやられてきたんだなと言うことを実感しながら吹いていた。K氏は何年も通っているのと、尺八をたしなんでいると言うことで、笛を渡されても落ち着いて吹いていた。小林でデビューを果たした榊さん親子が長野県阿南町の自宅に戻ってからまた御園に見に来ていたので再会を果たす。親よりも当事者の子どもの方がクールだったそうだ。


笛を吹いていると喉が渇くのでお酒を飲んでしまう。で、子どもの舞の「花の舞」が終わったあたりでいつの間にか神座を降りて寝てしまった。
それからちょっと起きて、榊鬼を見る。もう5時近い。予定より2時間半は押している。
そして榊鬼のあとまた仮眠室で寝たらしい。「らしい」というのはもう記憶がはっきりしていないのである。デジカメの写真の空白の時間で推測しているのだ。何度も通っている場所ではそんなに一生懸命撮らないからあてにならないのだが。

そんな感じで、後半は酔いと眠気で朦朧としながら今年の花祭第一弾は朝を迎えた。

帰りに温泉に入り、梅干しを買うといういつもの行事も終えて、我々は車で東京に戻った。途中、東名が事故で40km渋滞という情報で、車は沼津で高速を降りて他のルートを走ったみたいだが、そのあたり寝てしまってよくわからなかった。運転してくれたK氏には申し訳ないが、助かったであります。