8月13日
前日のこども落語に出演し、そのまま石和に泊まった山陽君が永六輔さんに会いたいということで、ざぶとん亭馬場さんや彦いちくんたちと田中泯さんが毎年やっているアートキャンプの「ダンス白州」へ。永さんがここで夜にトークをするのである。
http://www.artcamp.org/
会場に着いたら夕方来ると聞いていた永さんがすでにいて、突然現れた山陽&彦いちにびっくり。実は何日か前に東京で山陽君の公演を見た永さんが、舞台で蚊帳を上手く使っているのに感心して泯さんにその話をし、すぐに泯さんが蚊帳を手配して、この日の永さんの舞台でも蚊帳を使っていたのである。
永さんはこの蚊帳の話しようと思っていたわけだが、本人が来たとなれば、こりゃ山陽君飛び入りねということに。そして雑談をしていたら、永さんは話が終わったら「相撲甚句」を歌いながら退場するつもりなので、なんでもいいから木でも叩いたお囃子が欲しいということで、前日に引き続き急きょお手伝い。現地スタッフと一緒に箱馬を竹で叩いたのである。
実は僕は「話の特集」で育ったと言っても過言でないくらい、この雑誌を読んでいた。文学作品はほとんど読まず自称「文盲」の自分だが、今、こんな風に文章を書いているのは何でだろうと思い返してみると、この雑誌しかないのである。
永六輔、小沢昭一、井上ひさし、深沢七郎、横尾忠則、和田誠、田中一光、山下勇三、長新太、灘本唯人、矢吹伸彦、河村要助、湯村輝彦、平岡正明、竹中労、太田竜なんて人たちが精力的に書いていたのだが、「芸人その世界」と「尺貫法復活」で孤軍奮闘していた永さんの訴えは強く記憶に残っている。
「話の特集」を今に求めるなら「ほぼ日」になるのかな。
だからこの夜の出来事は感慨深いハプニングだった。ほんのわずかの共演だったが、「袖すり合うも他生の縁」という感じの儚さが良かったな。実は「話の特集」は今も三年分くらい残っていて、石和の馬場宅に預かってもらっているのである。
やっぱ縁だね。