2月11日

micabox2007-02-11

「板橋の田遊び」は徳丸と赤塚で行われていて東京には珍しい、粋でも鯔背でもない稲作の祭だ。徳丸の田遊びが行われた北野神社は高島平の南の丘陵地帯にある。今は住宅地の中に埋もれているが、かつては周りの低地に広がる水田を見下ろしてい鎮守の森で、もう田んぼは消えてしまったが祭はずっと続けられている。記録では1000年以上続いているが、今の形になったのはおそらく江戸時代くらいだろう。
田遊びは一年間の稲作の様子を真似て豊作まで演じ五穀豊穣を祈願する「予祝」のまつりで、感染呪術(かまけわざ)として男女和合、出産などの人間の子孫繁栄の要素も重なっている古い形のまつりだ。ここでも大きな男根のついた人形や孕み女が出てきた。
この田遊び、稲作と共に伝わってきたとすると田楽や散楽よりも前に民間信仰として入っていたかも知れない。そんな古いまつりが東京で見られるのはありがたい。
使う道具もすごく素朴で、今だと「かわいい」と言われるだろうな。全体もとても「なごむ」まつりだ。
特にこの田遊びは中年以上の世代を中心に執り行われるのもいい。長老社会である。実際は40代以下が仕事で忙しくてまつりに関われないのかも知れないが、ジジやおっさんたちが生き生きと「子供のお遊戯」みたいなことしているのを見るのは「安心」させられる。角刈りの頭や喋る言葉は江戸っ子っぽいが、やってることが田舎っぽいところも好きである。
短い時間だったが、神楽仲間何人か見に来ていて、島根の大元神楽で一緒になった人が二人もいたのは嬉しかった。
13日は午後7時くらいから近くの赤塚諏訪神社で「赤塚の田遊び」がある。この二つのまつり、似ているようでディテールがかなり違うのも興味深い。日本の伝統は多様なのである。