遠山の霜月祭り

micabox2008-12-15

13日から14日にかけての遠山霜月祭り、下栗地区のまつりに行ってきた。下栗は遠山の中でも急斜面の上の方にへばりつくようにある集落で「日本のチロル」と呼ばれたりしている。
僕も神楽を見に日本中の山深い集落をいろいろ訪ねたが、この傾斜にこの規模の集落があるのは初めて見た。マジ45度以上の斜面にも畑があるのだ。
でもここで取れる蕎麦は美味しくて有名だし、米がとれないから一年に二回作ったというジャガイモの「二度イモ」は小ぶりで味がいい。
http://nipponsyokuiku.net/syokuzai/data/057.html
林道のような道をしばらく走って集落へ出るのだが、そのあとはつづれ織りの道がジグザグに上へ上へと延びている。
祭りの会場の拾五社大明神は集落に入ってわりとすぐにあるのだが、駐車場はなく、道路も狭いのでかなり上に車を停めなければならなかった。
http://www.mis.janis.or.jp/~shogachi/
遠山に入ってからまず「丸西屋」さんで蕎麦を食べてから気の出る神社に水のペットボトルを置くという恒例の流れで2時過ぎに下栗に入ったので、すでに神名帳などの神事は終わり、湯の舞いが始まっていた。

湯の舞は面を着けない神事的な舞なのでまだ観客は少ないが、それでもここの湯の舞は最初からけっこう盛り上がって楽しい。
他の地区では夜も更けてから湯の舞で騒ぎ始めるが、ここでは前半から観客参加の演目があるし、御幣で湯もはねたりするのだ。
しかし面が出るのは夜中過ぎなので、民宿に泊まっているふつうの観光客などはちょっと見てからいったん宿に戻って出直してくるようだ。
僕ら「伝承音楽研究所」の三人、別名「神楽三バカ」は神歌や唱えごとがちゃんと聞けるので前半の神事舞の方が好きである。

そしてここは演目と演目の間の休憩がけっこうある。宮元と呼ばれる祭主である長老がかっこよかったので、なんとなく近づいていったら話し好きの人でいろいろ話を聞かせてくれた。昔の厳しかった頃の生活のところでは今まで聞いたことのない表現を聞く。昔の人はあまりにも辛い暮らしなので「もう人間には生まれ変わりたくない」と言ったのだそうだ。そして何に生まれ変わりたいのかというと「一年という短さでもいいから植物になって一度花を咲かせたい」と。
長老は「わしらはそういう経験を乗り越えてきたけど、はたして今の若い人はこの不況を生きていけるのか、あと半年、厳しいよ」とも言っていた。

5時にいったん夕食となり、湯釜の周りの舞処に茣蓙を敷いて氏子一同が飯、味噌汁に焼きサンマ、漬け物、刺身などで食事をとる。この日は氏子が少ないということでその場にいた我々にもどうぞ、と声がかかり一緒にいただくことが出来た。
ここには11月の「フォーラム南信州」で知り合った地元の中学校の田中先生がいたので「甘えてもいいかな」という感じである。「丸西屋」で「もり二枚」というのを食べたので空腹ではなかったが、美味しくいただく。サンマは炭焼きだし、やかんから注がれる燗酒の御神酒もうまい。

そのあと演目が再開されるが、集落へ出て行くという部分で車で仮眠。御神酒もいただいていたので山道を上がって息が切れた。寝ていたら残りのメンバーも車に戻って来て全員でしばし眠る。
そして9時からまた神社へ戻ったが、ここの祭りはずっと立ちっぱなしで見なければならないので、ちょっと辛い。だんだん人が増えてきて動きもままならないので姿勢も固まる。ここは毎年12月13日と日程が決まっているが、今年はちょうど土曜日と重なったので例年以上に人が多いらしい。地元出身の人も多く帰ってきているようだ。

途中で田中先生が突然笛を差し出して「三上さんどうぞ」と。笛を吹けるのはうれしいけれど、ここの笛は難しい。変拍子なんてものでないくらい譜面に出来ないタイミングなのでしばし聞くだけ。音楽的に解釈すると混乱するばかりである。しばらくして、木沢地区でも使っているお囃子になったのでここから参加。このメロディーは拍子がきちんとしていて、僕の「SHIMOTSUKI」という曲でも引用しているので知っていたから吹けた。うれしい。

12時過ぎて面が出てくる時間になるとますます人も増えてきて身動き撮れず、ビデオも写真も撮りにくくなる。今回はただでさえ邪魔なでかいマイクを突き立ててビデオ撮るチームが二つあり、ろくな映像が撮れないと半ば諦めていたので、田中先生のいる小上がりみたいなところへ上がらせてもらって笛吹きをメインに、時々撮影という過ごし方に変更する。笛の吹けない伝承音楽研究所所員も笛を貸してもらったので上がってきたが、撮影がメインの副所長は過酷な条件の中でビデオを撮り続けていた。ごくろうさん。

しかし小上がりに上がれば上がったで上の方は煙も多く、目にしみてつらい。笛を吹くとこの煙がまた口に入ってくるのだ。
時々しゃがんで煙から避難する。
途中、外に出たときに薪の係の人に指示が出ていて「今は乾いたのを燃やして○○の時に生木を」などと言っているのが聞こえた。わざと生木を燃やして燻すんだな。
これは修験のトランス技法の名残に違いない。この列島のスウェットロッジである。インディアン不要。
もうすっかり酔いも醒めているが煙と眠気で朦朧とする。「ねむい、けむい、さむい」と共に「生まれ清まり、再生の儀式」である霜月祭りをたっぷりと体験した。

面を着けた若者が人の中にダイビングをする「四面(よおもて」や鼻高面が熱湯をまき散らす「湯切り」などで祭りは最高潮に達し、「よーーっせ!、よーーっせ!!」のかけ声で狭い神社の拝殿は興奮のるつぼとなり、3時過ぎに祭りは終了。
まだ真っ暗な中、我々はジグザグの道を降りていくのであった。

これで僕の訪ねた本祭の神楽は70回目となった。48ヶ所70回、そのうち夜通しの徹夜のまつりが37回。いつまで体力が持つかなあ。