猿田彦神社 おみた

micabox2008-05-05

@伊勢
猿田彦神社の田植えまつり、「おみた」を見に行った。
猿田彦大神フォーラムの神楽調査担当として全国の神楽を見て歩いているが、御当社のまつりを見るのは初めてだ。神楽ではないことやちょうどゴールデンウィークのまっただ中の日程ということで後回しになっていたのだが、今年やっと見ることが出来た。

本殿の裏にある御神田(おみた)で田植えをするまつりだが、聞くところによる近郊の農家は猿田彦神社のまつりが終わった後に田植えをする風習で、昔は6月1日にやっていたのだが早稲の品種になってきて田植えが早まり5月5日になったのだそうだ。そしてそのうちもっと早くしなければならないかもしれないとか。

八歳の少女八名による八乙女から男女の植方に玉苗が渡され、ゆったりとした田楽の囃子が奏される中で田植えが始まる。
こういう田植えまつりでは早乙女と呼ばれる若い娘が田植えをするイメージだか、ここではベテランの女性たちである。市子笠を被っているので遠目だと早乙女にも見えるが。

男女とも桃山時代の衣装を着ているのが珍しく、趣がある。お囃子には桶楽という変わった太鼓も使われていて面白い音を出していた。神社のスタッフがお囃子をするのかと思ったら近くの楠部町にある田楽座の人たちだそうで、宮座なのだろう、限られた家が代々ひとつの役を受け継いできたらしい。
田植えが終わると大きな団扇が出てきて「団扇角力」をする。団扇に描かれているのは恵比寿と大黒で、どうやらマンガ好きの宮司さんが描いた絵のようだ。
団扇角力は豊漁と五穀豊穣を祈願して田の中を廻りながら団扇を合わせるもので審判が勝敗を決めるらしく、今年は大黒さまが勝ったそうだ。

そして昇神の儀の後、拝殿前で「豊年踊り」が行われたが、これが面白かった。踊りという名前が付いているが所作は動いて静止、動いて静止、というもので、先頭の人の動きをひとりずつ後の人がついていくというものだった。これも桃山時代からのものなのだろうか。それから藁をなって俵を作り、米を入れる豊作の所作をする田遊びみたいなことをしていた。

豊年踊りが終わった後、大団扇がまた出されてきて宮司がそれを破るか破らないかのうちに群衆が殺到、ピラニアのように団扇をちぎっていき、あっという間に大団扇は枠だけになってしまった。
この団扇の紙片は家内安全、商売繁盛、五穀豊穣の守護として神棚に飾られるそうである。

現在のまつりの形態は明治初年からだそうだが、いろいろ古式が感じられるいいまつりだった。
また、このまつりの神饌のひとつとしてトビウオがあり、荒波を乗り越えて力強く飛翔するトビウオを縁起のいいものとして、五穀が雨風に打ち勝って豊に実ることを祈念しているということだが、とても珍しいものらしい。インドネシアあたりからつながる文化だということでNHKの取材が入っていたのでトビウオの番組があったら是非見て下さい。7月にハイビジョンだったかな。