映画『ある精肉店のはなし』を観てもらった勇気

昨日観た『ある精肉店のはなし』、途中挿入された「東守唄」よかった。クレジットでは唄ったのは老人会とあるが、沖縄のオバアたちと同じような発声で、消え行く歌を聞いた感じ。
江戸時代から続く民俗、そして明治から生まれた民俗、戦後から始まった昭和の民俗などが折り重なっていて、「民俗学映画」のようでもある。

そして手で締めていく太鼓作りには心惹かれた。今は機械が多いからね。
晃さんの張り替えただんじりの太鼓も和太鼓のようにカンカンの音でなく、神ごとのための低めの響きが出ていた。伝統的手締めのせいもあるかもしれない。

僕の太鼓、常識で言えばもう革を張り替えなければならない状態。
でもその分ドライヤーで好みのチューニングにすることができるので使い続けている。
しかしさすがに片方は寿命が近いようだ。
この映画に出てくる晃さんに張り替えてもらいたいと思った。
そうすると太鼓の内側にどんな銘が入っているかわかり、いつ頃作られたのかもわかるし。

ただ、懐具合を考えると太鼓使う仕事がもっと増えないと難しいかな。
以下の愚痴は言うまいと思っていたけど、この映画を見て一度言ってみたいと思う。

「日本の伝統的な太鼓は世界に類を見ない美しい響きを持つ優れた太鼓である。特に長胴太鼓は丹田に響き、神とつながるような微妙な低音と長い余韻を持つ。一音成仏の世界から、呪術的なパターン、そして乱打まで表現力も多い。
映画に映っただんじりでも先のかなり太くなっているバチを使っていた。これは高いアタック音よりも低い響きを求めてのものだろう。

世界中のミュージシャンが自文化のパーカッションを使い、ジャズやロック、レゲエなどの影響を受けて、独自のポップスを作っている。それはまず自文化の音楽が根底にあり、流行した外来音楽を「利用」しているのである。
しかし日本では「自文化」ではなく「外来音楽」が根底にあって日本の音を「利用」する程度のものばかりだ。「自文化」が身についていないからだ。知っていても多くはせいぜい民謡だろう。

世界中のあらゆる民族音楽を知っているという人もこの列島で長く歌われてきた「せり歌」や「御祝い」などの魅力を知る人はほんとにわずかだ。日本中にある神楽ですら勉強しようとするミュージシャンは、最近増えてはいるがまだまだ少ないしアプローチが安易なものも見られる。

こんなことを言っている偏屈者の僕だから、相変わらず同志がまだほとんどいないので孤独感が強いけど、ほんとうの太鼓の響きをもっといろいろな音楽で使ってほしいということは訴え続けるつもりである。」

この映画を見たおかげで、この半ば愚痴を表明する勇気をもらいました。

11日の「三つ巴ルーツセッション」@ポレポレ坐では久しぶりに「幸せハッピー」を演って、太鼓の使い方のひとつのケースとして提案してみたいと思っている。