むすぴぱ・小さな相談会・活動報告  『林檎の気持ち(1)』

連れ合いがやっている活動の報告がメールで届いたので、貼り付けました。(三上)

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札幌のみかみです。

いつもさまざな形でご支援ご協力を賜り感謝申します。
このところ福島県を中心にあちこち出張が続いております。
58歳のアナログ人間は、なかなかリアルタイムにご報告が出来ずにおりますが、今日は「小さな相談会」の報告させていただきます。

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むすぴぱ・小さな相談会・活動報告  
『林檎の気持ち(1)』 2012.09.23 福島県郡山市「イノカフェ」
                    報告:みかみめぐる

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昨年の10月からスタートさせた小さな相談会活動は、受け入れ支援をしている北海道のむすびばが被災地に出向き、直接ご連絡をいただいた方と個別にお会いして、保養や避難、移住の説明をしたり、その他諸々の悩みをじっくり聞いて一緒に考えたり、励ましたりすることを目的にしてきた。 今回は少し詳しく報告したい。

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郡山市では毎度イノカフェさんが会場で今回は6回目。
二学期が始まった郡山の皆さんはどうしているのかな ?? 。
いつものように「一日のんびりお待ちしてます」スタイルで行った。

郡山は雨。東京の会議を終えたむすびばの東田事務局長と駅で待ち合わせて二人一緒にお店へ行く。店主の横田さんと息子で中3の優くん、Wさんが笑顔で待っていてくれる。みんなで再会を喜び合いながら、いつものテーブルに陣取り相談コーナー開設。


タイミングよく北海道から林檎が2箱到着した。
毎回札幌の自然食品店「らる畑」さんが動いて下さり、北海道の有機農業生産者さんから野菜の支援をいただいて参加者にプレゼントしている。今回は秋の幸の林檎(長沼町なかの農園さん)が2種類届いた。
早速、優くんと箱を開けてみる。林檎の良い香りがふわぁ〜と店内に漂い「いい香りだねぇ〜!!」とみんなから声があがる。

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Wさんは発達障害のお子さん2人を抱えるシングルマザー。
夏休みは北海道で沢山のサポートを受けながらたっぷり保養ができたが、戻って来てからは相変わらず悩み続ける日々。
上の子は学校に行く気持ちになれず自宅待機。下の子は二学期から登校しはじめたが、教室には入れず独りで図書室生活をしているという。
子ども達が在籍している学校側は基本的にはWさんに対して「うちの学校での対応は無理です」といった姿勢らしい。郡山でWさんの相談にのって動いてくれる人を急いで捜すことが宿題になる。

→札幌に帰ってから同じプロジェクトのメンバーと相談。
 郡山で不登校の子ども達の居場所づくりの活動をされてきた中学の先生達がWさん一家のサポートして下さることになった。

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Yさんも小学生と幼児をかかえるシングルマザー。
相談会にはいつも親子3人でやって来る。
外回りの仕事で車に乗ることの多いYさんは、今年の春追突事故に遭いむち打ち症になってしばらく仕事を休んでいたが、職場復帰した今も後遺症で辛い思いをしている。
夏休みに休暇を取って子ども達と一緒に北海道に行くことを楽しみにしていたが、体調が今いちで仕事を続けるだけで精一杯となりどこにも行けなかった。小学生の上の子は学童保育、下の子は保育園で過ごす夏休みだったと残念がっていた。
「本当は札幌に避難したい」と今年5月の最初の相談の時からYさんは言い続けている。しかし下の子に生まれつき身体障害があり、来春手術を予定しているため郡山から動けないでいる。冬休みこそ札幌に下見を兼ねて行けるようになりたいとYさんは願っている。
その願いを本当に叶えてやりたいものだ。

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Hさんは夫の実家に同居の大家族生活。
昨年の事故直後は3人の子ども達を連れて会津の実家に避難したが、実家には妹一家が同居しているので長居が出来ず、春休みの終了と共に泣く泣く自宅に戻った。帰宅してからは放射能汚染がもたらす健康被害について心配だと家庭内で声をあげるが、義父に頭ごなしに否定される。
結婚してから初めて自分の意見を曲げないで危険性を訴え続けるが、家長である義父からは「自分に盾突く嫁は独りで出ていけ」と言われ家庭内バッシングを受け続ける。それでも子ども達のためにと思い歯をくいしばって耐えてきた。義母も夫も「考え過ぎだ」「もめるな」と言い、Hさんは家庭内では完全に孤立しながら暮らしてきたが、仕事を続けていたので仕事に出かけている時が唯一の息抜きの時間になった。
原発事故後、家庭内で激しい対立が起き、おじいさんがお母さんを虐める様子を敏感に受けとめた小学生の娘が、時々家で発作的に泣き叫びながら物を投げたりして暴れるようになり、Hさんの悩みは深まる一方だった。

昨年11月、たまたまどこかでチラシを読んだHさんが相談にみえた。暗い表情でおずおずと小さな声で話すHさんの相談内容にこちらも正直愕然とした。その日は10人くらいでグループで話すことになり、皆それぞれに自分の状況を率直に語り、お互いに相手の苦しさに共感して涙を流し合った。Hさんも「自分の考え方や感じ方は間違ってはいなかったんですね」と何度も確認しながら泣き、そして最後に笑顔になった。

それからは毎回相談会に来てくれるようになり、二番目と三番目の子ども達と三人で避難したいという希望を持つようになったが、なかなか現実的には難しい。しかし、自分と同じような考えの人達が郡山市内にもいるということを知ってからのHさんは除々に自信を取り戻し、なんと今年の新学期からは子どもが通う通学路の放射線量の数値が高いことを他のお母さん達と共に教育委員会に訴える行動も行った。

今回の相談会には二人の子ども達を伴ってやって来た。6月に二本松の合同相談会に連れて来てくれたので子ども達とは顔なじみだが、夏休みに東京世田谷区の保養プログラムに初めて参加したので、小学生のお姉ちゃんが一緒に行って報告すると言ってくれたそうだ。交通費と宿泊費を持ってくれて、自由行動を基本とし、最初と最後は受け入れの人達と交流するというプログラムは、昨年から鬱々としていたHさん親子3人にとっては、思い切り都会の観光スポットで普通に遊ぶ夏休みとなった。お姉ちゃんが遊んだ場所をニコニコ説明してくれた。
ずうっと否定的だった夫も夏休みは案外あっさりとした態度だった。一度経験するということは違う世界の扉が開くことだ。一時保養をついに実現させたHさん親子は「冬休みは札幌に行ってみたいね」と楽しそうに言い、確実な変化をみせていた。
世田谷で支援者の方からいただいた「子ども被災者支援法」のチラシを新たにコピーしてイノカフェにも置き、Hさん親子は嬉しそうに林檎を抱えて雨の中を帰っていった。
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この日は大人と子ども合わせて17名参加し、夜7時に終了。
みんなそれぞれ林檎を袋に詰めて持ち帰った。

郡山市から福島市に移動してホテルの部屋で林檎を食べた。
らる畑の橋本さんのお勧めどうり、今年の北海道の林檎はとても美味しい。
林檎の気持ちが体全体に染み渡り、誰かも今頃食べている気がした。

[文責]むすびば共同代表/みみをすますプロジェクト/みかみめぐる
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*雨の中を帰っていく親子。この辺の歩道は普段から0.5μSv / h ある。