昨晩のたね蒔きジャーナル 金曜版

 永岡です、毎日放送ラジオのたね蒔きジャーナル、今日も水野晶子さんの司会、毎日新聞専門編集委員近藤勝重さんの案内で放送されました。近藤さん、富士山の初冠雪もギャグに聞こえると言われました。大阪はゲリラ豪雨で、停電もあり、堺では1時間に48ミリの大雨。電車も徐行となり(雨が規制値を越えたため)、多くの方の足に影響が出たのです。

 原発のニュース、2030年代に原発をゼロにする方針がまとめられました。革新的なエネルギー戦略で、国民は原発を望んでおらず、1日も早く実現するが、安全の確認された原発は利用し、新たな原発は建設しない。40年で廃炉、発電と送電の分離を行うと言い、野田総理、新しいスタートラインに立てたと言うのです。脱原発には経済界、立地自治体から反発で、「本当に 脱原発に できるんか?」というリスナーの一句もあり、近藤さんも疑問符、記者クラブの言い分を聞いても、ゼロにするためにいつまでにするのかの名言を避けており、安全な原発は再稼動で、「原発ゼロ 抜け道言い訳 最初から」というリスナーの一句もあり、再処理サイクルを維持するのは再稼動前提で、大矛盾であり、どうなるか分からない+工程表なし、ただちにゼロの候補は原口氏のみ、その上いつまで民主党政権かも分からないと近藤さん批判されました。

 自民党の総裁選、「総裁選 誰なってもと ふと思う」というリスナーの一句もあり、近藤さん、自民には中道の人もいたのに(今までなら谷垣氏)、尖閣の問題もあり中国が見ていたら心穏やかではない。石原氏がナショナリズムに火をつけて、民主党が国有化して、それで中国が納得すると思い、しかし自分の領土をなぜ日本が国有化となり、中国とのパイプなし、APECで胡首席が反対して、胡主席は次で終わりで、中国にはよりどころがあり、こういう問題は相手があり、日本が前に出たら向こうも出る。安倍氏は安保の強化というが、アメリカは議会の同意があり、中国相手に行かない。自衛隊を常駐させたら、向こうは軍を出していく。ナショナリズムに火が付いて泣くのは市民であり、不買運動で影響も出て、どうやって落としどころを民主党政権が付けるかなのに、だから民主党政権が変わって良いという理由にもならないのです(泣)。

 大阪維新の会の松井氏、小泉政権構造改革を受け継ぐと、共同通信のインタビューで答えて、消費税は引き上げ、憲法を変えるため自民と連携するというのです。が、大阪府、借金が収入の18%を越え、総務省の許可がいるのです。

 川柳で振り返る1週間プレイバック川柳、今週近藤さんの選ばれたのは「福島の 話は聞かれぬ 総裁選」でした(今日も説明の必要はないでしょう)。

 水野晶子のどないなっとるねん、今日は、震災で大きな被害を受けた宮城県亘理(わたり)町(宮城南端、福島に近い)の方で、ここでは昔から小さな袋「ふぐろ」に米や小豆を入れて送る風習があり、今日のゲストの引地恵(ひきち・めぐみ)さん、震災で取り壊しの決まった呉服店から古い着物を譲り受けたのを期に、手仕事プロジェクト「ふぐろ」を始められたのです。その引地さんのスタジオでのお話です。女性だけで仕事を始めておられます。引地さん、大阪に初めて来られて、大阪に行くなら豹柄の服を着て行けといわれたそうです(笑)。宮城の方が東京を越して大阪はなく、京都までしか引地さん来たことがないのです。

 引地さん、ドーンセンターで東北の女性の手仕事を紹介するイベントがあり、物産を大阪の人に見てもらうものなのです。そこに出されるものが、布の巾着を作られて、引地さん3月まで亘理町学芸員をしていて、歴史に名を残す人でない昭和の人のことを調べて、亘理の人は残り布で巾着をつくりお米、豆を入れて手渡していたのです。小豆3粒包める布は捨ててはいけないと言うのです。これを調査して、震災で古いお店が全壊になり取り壊され、資料を引き取り、昭和30〜40年代に店を閉めてそのままのお店を調べたら、着物の生地などがあり、それを使って、かわいいものを作っているのです。かわいい巾着袋であり、いろいろな人に広がり、東京の青山祭りに出して、その後各地から声がかかり、手に取る人が増えて店舗販売に至ったのです。海外の人も喜んでおられるのです。

 近藤さん、震災の被害は世の中そのものが効率の犠牲になり、戦後失ったものは、手間隙かけて手仕事でやることだと言われて、災害をバックに生まれたものが手仕事になったと言われました。引地さん、ものを大事にする、心をこめてやると言われて、近藤さんの言われることを体感し、手間隙かける価値を、お金で受け取るものだと言われました。近藤さん、日本を再設計しないといけないのに、手間隙かけるものがあると言われました。

 古い着物が生まれ変わったものが2800円で、包むなら100円だけの世であり、多くの人が2800円でも欲しいというのは、お客さんの心が反応すると近藤さん言われました。値段を上回る心の響きなのです。

 これをブランドにしたくて、「ふぐろ」であり、意味は袋が東北でなまったもの、ブランド名になり、ものを入れるだけでなく、それなら他に安いものがあり、ものに価値がある、デッドストックで世に出ない着物の記事を世に出したい、小さなサイクルでお金が地元に落ちる、品質もお金に見合ういいものにしたい、長く続けるためにビジネスにしたいのです。スタッフ3人、作り手は登録26人、お金を払っている人は15人、残りはまだ世に出せないものです。
 引地さん、役場の仕事を辞めて、息子さんも心配され、しかし社長になるからと言ったのです。3・11以降の役場の仕事も大変で、亘理町は大変な被害になり、心の変化、公務員の業務は過酷であり、それをやってきた仲間、職員の気持ちもあり、名残は惜しいが、誰か主になりやれば発展すると思い、一人ではないと進めてきたのです。

 水野さん、亘理町の隣を取材して、電車のレールもなくなったところ、そこで繋がってやる意欲は大きいと言われて、近藤さん、ゼロからのスタートは大きい、ゼロだからあきらめないと言うのです。「巾着が 復興の輪を 広げ行く」というリスナーの一句もあり、「女子力が この国救う キーワード」というリスナーの一句もあり、女性の仕事は大切と、リスナーの声がありました。リスナーの声、自分たちの祖先が引き継いできた品物を誇りを持って引き継ぐことは幸せという声があり、被災地の経済が少しでも回るようにとなり、地域でおばあさんたちの引き継いできたふぐろ、大阪でどう受け止められるかなのです。

 最後に、近藤さんの、幸せの雑学、9月はガン制圧月間で、河野裕子さんという女性歌人乳がんで10年闘病して2年前に64歳で亡くなられ、ガン宣告を振り返り、乳がんと知らされた悲しみは忘れない、鴨川の流れが美しいと詠み、泣きながら生きようと思ったとあり、鴨川のきらめき、泣きながら生きようと思ったということ、ガンを宣告された人の文章で中野孝二さん、2004年にガンで亡くなり、食道がんと知らされて帰ってきた時、これが人生だという文章もあり、近藤さん、今いる自分の舞台を、少しでも引き上げようとするものがあり、近藤さんもガンと宣告され、その先生が陽気で、手術も寝ている間だと言われて、がん告知、言葉は大事で、しかし昨今厳しい口調で、余命も短めに言う傾向にあり、言葉に厳しさはあるものの、吉行淳之介さん、ガン宣告で急速に力が衰えて、結局人間は大雑把に言うと命を日々落としていく、自分の気持ちをどう作るかであり、近藤さん、普段何とも思わないことがありがたいと、1日をどれだけ深く生きるか、短くとも深く生きる、見方の切り替えで自分を引き上げることがあると言われました。「1日を深く生きる、深く感じる」のです。

 今週もたね蒔きをお送りいたしました。