昨晩のたね蒔きジャーナル 1/24

1/24(火)

 永岡です、毎日放送ラジオのたね蒔きジャーナル、今日も水野晶子さんの司会、毎日新聞ほっと兵庫編集長の平野幸夫さんの案内で放送されました。

 原発のニュース、野田総理所信表明演説、11000字、社会保障に3300字であるのに、原発関係はたったの132字!、エネルギーに400字!これは千葉さんが数えたもので、聞いていて唖然です。平野さんは、過去の演説引用は天に唾するもの、野田氏が野党時代にマニフェストを守り抜くと街頭演説している映像がネットで広がっており(10万回アクセス、官僚をシロアリに喩えていた)、心に響かないと呆れておられました。

 枝野氏、原子力災害本部の議事録を速く作れと保安院に言っています。公文書に基づく記録がなく、関係者のメモで再現できるので、思い出して議事録を作れと言うのです。避難区域の設定などを決めてきたのに、23回の会合があり、録音が残っているか調べているものの、事故直後のものはないのです。

 そして、小出先生のお話、人の命を決めるところに議事録がなく、今から作ること、「作らないといけないが、作ってどうするのだ」、原子力を進めてきた人の個人責任を問うべきで、総理を刑務所に、安全委員を刑務所に入れないと処置できないのです。

 平野さん、後で検証されると官僚は知っており、録音していないわけはない、口裏合わせの可能性あり(密室)で、国民が検証する手段がなく、別の調査の権限を持たないとダメと言われて、小出先生、ジャーナリズムが全体を見て報道すべきなのに、メディアも批判されると、これは平野さんも自戒されました。情報は官僚が独占していて、たどり着かないのです。それを明らかにするのがジャーナリズムなのに、そうなっていないのです。国会の事故委員会もあるものの、半分疑っています。

 証拠がなく、九電玄海、36年経っており、最も危険なもので、老朽化に寄り、専門家の会議があり、九電は原子炉は大丈夫と言って、専門家は原子炉の中に試験片を入れて、それを何と九電が廃棄しており、圧力容器がどれだけ脆くなっているか調べるもので、金属は中性子を受けてガラスのように脆くなり、それを調べるために試験片で調べており、それがどこまでガラス化しているか調べる(6個試験片がある)のに、4個目まで調べたのに、98℃以下になるとガラス化してしまい、脆くなると、温度が下がれば壊れる、普通の温度では玄海はアウト、運転を止めたらガラスの中に核燃料があるようなもので、原子炉を通常で止めたら圧力はかからないと言うものの、地震があり原子炉を急に冷やさなくならない時は、圧力容器のことが心配で、玄海は予想以上に高い温度でガラス化して、九電が悩んでいるのです。

 これまで4つ試験して、被曝して放射能を持つ塊を試験して、いつまでも持っていたくないのは分かるものの、捨ててしまった可能性はあるのです。これの取り扱いの法律は、放射性物質として廃棄するもので、罰則規定はないのです。しかし、誰の責任かは残り、追跡するなら、いつ廃棄したドラム缶にあると記録があり、ドラム缶を調べて再チェックできないとダメなのです。水野さん、重大な秘密があり隠したのではと言われて、小出先生は試験後捨てたが、回収して再チェックしてほしいのです。

 今日も、小出先生のお話をおつたえいたしました。


たね蒔きジャーナル、続いて、「ゆきゆきて、神軍」(ミニシアターでロングラン)などのドキュメンタリー映画で知られる原一男監督、今はアスベスト問題を追っており、スタジオでの出演、訴訟の原告の一人、岡田陽子さんの電話でのお話も交えて放送されました。

 アスベストの被害者、泉南で、中皮腫で肺をやられた人を追っており、知っている人に、テレビ局のプロデューサーをやってみるかと言うことになり、原さん、直接取材して調べて、ひどい話であり、5年追っているのです。

 患者さんの前にカメラを置くこと、その前に、被害の過酷さを映像として表現する使命があり、病気のつらさを知らせたいのに、患者さんは良くなったら撮ってほしいとなり、自分たちがハイエナのように思われ、患者さんもつらい時に撮ってほしいわけではない、取材は良いものの、体調が悪いと撮らせてもらえない、大変なのです。

 カメラの前で原さんが涙を流す瞬間もあり、裁判の報告集会もあり、原告の人が体験を語ると、日ごろからの思い、ドッと出て、涙声になる、一番残酷なのは、これは良くなる病気ではない、退院しても本質的な改善はなく、元気になってくださいと言えない病気で、もらい泣きなのです。

 貧しい地域にアスベストがと、差別意識泉南に白羽の矢が立つことになったのです。被害が明らかになった後の棄民政策(被害は戦前から分かっており、80年代に救済対策を取らないといけないとなった)であり、工場で働く人だけでなく、周囲の人も病気になり、後者の責任は一審でも認められなかったのです。そして二審では逆転敗訴、国の責任が認められず、次は最高裁なものの、最高裁がちゃんと取り上げてくれるか、不安なのです。

 原告の岡田さん、以前たね蒔きジャーナルでお話を聞いて、原さんも撮っておられる方で、酸素吸入を付けているのであり、咳き込んで苦しく、しかし、本当の苦しみをラジオで伝えられないと水野さん言われました。岡田さん、原さんが日常を撮っておられて、最初は抵抗があったものの、撮ってもらううちに、亡くなった後も記録に残る、うれしいと言われました。しかし、原さん、亡くなった後で、と聞くのがつらいと言われました。

 岡田さん、生きているうちに救済を、であり、国に対して、国策でアスベストを奨励しているのに、被害は経済発展のために仕方ないと判決で言われて、国は税金を取り、国民の命を守っていない、仕方ないと言われて死ぬのがつらいのです。岡田さんの将来は病気の前は明るかったのに、病気で夢が叶わず、国は仕方ないと切り捨てているのです。国に責任を取り、謝ってほしいのです。

 平野さん、最高裁接触はあるかと言われて、今月に他の原告が最高裁の書記官の面接を受けているのです(間接的な証人尋問)、原さん、最高裁の取り上げる可能性について、それが微妙で、書記官が会っても、最高裁が取り合うかは不明、過酷なのです。

 二審の判決、岡田さんが母親に報告するシーンがあり、経済のためにのたれ死んでもいいと言う判決であったと言うのであり、原さん、棄民と言うこと(今村正平監督の作品)がアスベストで生きていると言われました。岡田さんの声を聞いて、岡田さんと母親が被害にあい、その思いが残っている、原さんのカメラは母親の無念さをまだ撮れていないと言われました。

 平野さん、アスベストと、原発で避難している人が重なり合うと言われて、政府はどんな政権でも都合の悪いことは隠すのは続いている、それを白日の下にしないといけないと言われました。リスナーも、アスベスト原発の関係を指摘しています。

 今日は、原監督のお話をお届けしました。

 明日、大阪芸大で原さんの上映会もあります。

http://www.mbs1179.com/tane/c-guest/