昨晩のたね蒔きジャーナル 1/5

1/5(木)

 永岡です、毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」、今日は千葉猛さんの司会、毎日新聞大阪本社論説委員の近藤伸二さんの案内で放送されました。

 原発のニュース、福島の双葉郡、中間貯蔵施設について佐藤知事と対処し、国は保管施設を双葉郡に設置と言っており、理解を示す意見もあるものの、町長は反対し、知事が対処する模様です。近藤さん、細野氏の発言からも、福島にやむなしとなっており、住民の意見を聞けるか、なのです。また中間貯蔵にならず、最終保存になる可能性もあり、他に見つかる可能性はないからです。

 福島の米からセシウムが暫定規制値を超えたこと、今年の秋の米は抜き取りではなく全部検査します。全袋検査であり、ベルトコンベアの米を検査できる1台1000万円の検査機が100台(10億円)かかるのです。

 そして、小出先生のお話、毎日新聞が、東電福島、91年に配管腐食、地上の電源部屋に浸水し、非常電源が起動しなかったことが分かり、それでも非常電源が地下に置かれたのですが、従来の考えではそれでいい(たまたま配管が破れた)、配管が破れなければいいというものであり、しかし「事故の原因は津波だけでなく、どんなことをしても、事故が起きる」のです。

 津波は想定されてなかったのではなく、想定以上の津波は起きていて、「そんなものは起きてほしくないと、東電の願望であった」のです。

 この91年の事故、今頃訂正発表で、「そんなことは山ほどある」、原発は複雑で、日常でトラブルがあり、原発稼働が国家の至上命題で、大半の不具合が無視されてきたのです。

 冷却に配管の腐食があり、「海水を使うならいつかは破れる」、非常用発電機が動かず、しかし、これを取り換えたらいいと言うのが東電の考えです。

 近藤さん、情報公開が進んでいないと指摘し、「多分出来ない」、不具合を出したくない、過小評価したい、現場がそう判断すると、規制当局も発掘できないし、報道も出来ないのです。現場で分からないとダメであり、これからもそうで、マスコミがどれだけ姿勢を貫くかなのです。

 12月31日、全国の原発の格納容器のデータを集めるシステムに不具合があり、26時間トラブルで、これで万一の国の対応に問題が起こり、これについて、「機械だから不具合が起こるのは当たり前、不具合を知らせないといけないのに黙っていた、福島ではシステムが作動せず、SPEEDIのデータ公表差し止めの言い訳になっており、これらは報告しないといけないのに、都合の悪いことは言わない政府なのです」。保安院、年末の気の緩みと言うのですが、現場に緊張感がなく、この期に至って欠如とは驚きなのです。

 リスナーより、福島の後処理で膨大な費用が掛かり、その他の原発の処理を考えると子孫に暗澹たることになる、原発一基の廃炉にいくらかかるかについて、「分からない」、車について、廃車にするときは、後は大した問題なしなのですが、原発は、運転を止めた後でも、それから先どうしていいか分からない、何十年かかる、使用済み燃料は100万年かかり、廃炉は廃車と異なり、後始末をどうするか、想像できない時間の長さであり、「100万年のコスト計算は出来ない」のです。

 今日は、廃炉の絶望的な現実をお伝えいたしました。


続いて、福島県浪江町から大阪府堺市に避難されている福島民話の語り部、吉川裕子さんのお話がありました。スタジオでの出演で、千葉さんは仙台の出身で、期待してお話を聞きました。

 大阪の生活には慣れて、住めば都であり、言葉も大丈夫で、電車の中のおばちゃんの声をマナーモードにしてほしい(笑)のです。

 吉川さんの家、原発から7〜8km、警戒区域で、3月25日に堺に避難し、あちこちに避難して最後に堺に落ち着いたのです。困っていることは、何とか落ち着いたのです。

 リスナーより、どの土地にも昔話がある、福島の民話を楽しみにしているとの声があり、吉川さん、岩手のことは分からない、東北は民話の宝庫で、福島の民話、「はがだ(歯の形)の栗」、宮城では分からないもので、150年前、若い夫婦が相馬の土地をもらい、女の子がいて、親孝行、田んぼを耕すのは大人でも大変であり、この子、両親を助けて、休まず働き、秋の木枯らしの吹くころ、子供がうなっており、子供の看病をして、医者にも見せられない、お母さん、大切な着物を売り、薬を買い、しかし2,3日の薬にしかならず、良くならない。

子供に、何か食べたいものはないかと聞き、栗と答え、父親、木枯らしの中出かけて、しかし栗は見つからない、自分の生まれた村の神社、拝んで、とリスが出て、栗の実を持ってきてくれたのです。これを子供に与えて、人かじりしたらこの子は亡くなったのです。葬式、入れ歯、着物を入れて、さらに栗も入れて墓に入れた。と、墓から芽が出て、木になり、栗が生り、それに歯型がついていた…これが、警戒区域に今ある、という民話でした。

 この栗は実際にあり、一時帰宅で確認したもので、手入れできないのです。毎年実がなるのに、です。

 一時帰宅、家は壊れていないものの、中身はガタガタ、ものも盗られたのです。工事現場の人形だけが動いているのがこの警戒区域の現実で、家畜が野生化し、眼が怖い、今にも襲われそう(食べ物がないから)なのです。大切なものを持ち出す気力すらなかったのです。見るだけ見て帰られたのです。

 津波地震放射能風評被害であり、津波でやられたところはそのままなのです。

 いつか福島に帰れるかの希望は、収束したと言うのもおかしい。地元に残ったのはいい人になり、逃げた人が悪者にされている、戻っても、隣近所とうまく行かない(地域のコミュニティが破壊された)のです。これを理解してほしいのです。

 県外に避難した人への援助は、福島から通知が来るものの、避難した人のつながりがなくバラバラ、孤立している人がたくさんいるのです。個人情報が壁になるのです。連絡を取りたくても出来ないのです。

 大阪でこうしてほしいというのは、もう我慢することに慣れたのです。戻るまで時間がかかり、しかし吉川さんはいい人に巡り合えたものの、さびしいのです。

 東北弁で語り合う会を作り、地域で触れ合いをする会が欲しい、いなかの言葉が良いのです。メンバーも集まっているのです。涙流して聞く人もいるのです。

 最後に、吉川さん、民話をいくつ語れるかは、100を超す、はがだの栗が一番のお気に入りで、また吉川さんのお話があり、関西のラジオで東北弁が流れるのは珍しいのです。

 東北の民話はいかがだったでしょうか?これを、お伝えいたしました。