昨晩のね蒔きジャーナル 11/8

11/8(火)

 永岡です、毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」、今日も水野晶子さんの司会、毎日新聞ほっと兵庫編集長の平野幸夫さんの案内で放送されました。


 原発のニュース、国の原子力委員会、事故を踏まえて、将来の事故に備えてコストが1.6円/kwになる(賠償5兆円)と試算しています。過酷事故の頻度を500年に1回とか、10万年に1回とか言っており、意味が分からないのです。委員会は発電コストが最大1.2円上がると言い、過小評価と言われて計算しなおしたのです。


 そして、小出先生のお話、リスナーのメールで、原発のコストが高いのか安いのか、事故を考えなくても原発は火力より高いと小出先生言われて(そうです)、政府のには重要なものが入っていないのかについて、原発のコスト見直し、資産の案で、重大事故の被害額を算入しているのですが、被害額5兆円、「あまりにもばかげている」、普通の人は1ミリシーベルト/年の法律で、これを守るなら、福島全域を管理区域、無人にしないといけない汚染が東電により起こされ、賠償に何十、何百兆円かかるのに、それを5兆円(当初は3兆いくら)としたもので、年間1ミリを守らないと言っている、「犯罪者が犯罪を重ねている」のです。


 政府は除染をすると言っても、出来ない、それを問わないといけないのです。伴先生、原子力資料情報室の方で、小出先生も良くご存じ、被害は48兆円と伴さん言われて、小出先生、それでも足りないと言われ、伴さんの計算だと12〜16円/kwになる、原子力委員会は1兆円の損害で0.32円と言っている、伴さんの48兆円なら、原子力委員会が認めている、しかし、原子力委員会の試算は、毎時5〜7.6円と言っており、小出先生笑われて、伴さんの試算の半分しか出しておらず、「原子力を進めようとした、最大の犯罪者が、自分たちの言い分を正当化している」のです。


 火力が5円となり、原発の最大なら火力を上回るのですが、小出先生また笑われて、モデルを作って計算しても、モデルが妥当でないとダメ、立命館の大島さん、電力会社の経営データに基づいて計算して、原発は事故なしでも高い、事故が起きたら話にならないのです。


 これに、地元対策のお金も入っていないのです。平野さん、これを今出す政府の意図(再稼働維持)を見ないといけないのです。小出先生も同意されました。


 事故の確率、最小で10万年に1回!(全員失笑)としており、最大で500年に1回、これの根拠は、小出先生あるなら聞いてみたい、水野さんの推測で、全国の原発が延べ1500年稼働するので(寿命40年40基)と想像され、日本で55年原子力をやり、何炉年と言う単位で呼び、1000数百年の時間で事故になった、1000数百炉年で1回であり、今回3基の事故で、500年に1回とは、「数字の遊び」なのです。3基事故があり、もう1000数百年事故はないことになるのです。


 しかし、途方もない苦しみがあるのに、4兆円だ5兆円だと言う人の神経が小出先生分からないのです。


 今日も、小出先生のお話をお伝えいたしました。


続いて、大阪府の教育基本条例に関して、上田崇順アナウンサーの報告がありました。大阪都構想だけでなく、教育が問題であり、教育委員会も橋下氏に反発しており、現場の保護者、先生がどう考えているのか、上田さんの取材です。


 府知事選、松井氏は条例に賛成、その他は反対、世論調査は半数が反対、現場の先生が反対して、夜遅くまで討論しているのです。保護者も、条例案が伝わっておらず、通ったらどうなるか、聞いてくる人もあまりいないのです。グローバル社会に対応できる人材育成、選挙による議会、委員会による運営としているのです。政治が教育に介入するのです。


 先生方、枚方の人は、競争に勝ち抜く一部の子のためのものとの反応があり、公立の教員では、全員目を配らないといけないのに、エリートだけの法案、競争のために変えるということで、教育の根本が覆されるのです。保護者は、関心を持っているのは勉強が得意でない子供、障害を持つ子供の親御さんが心配しています。付いていけない子供をどうするかが問題で、しかし現状も良くしてほしいと言っているのです。条例が通ると、教育の根本が分かるのです。先生の資質を良くしてほしいと言うのと、条例は違う、競争による排除は問題、コミュニーケーションの能力、学力以外のところが条例に抜けていると言うことなのです。


 競争について書いてあり、障害を持つ子供の場合、親御さんが心配して、障害を持つ子供の連絡会、競争主義、ともに学びともに生きるのではなく、周りが競争する中で、勉強の邪魔になる、そういう子は別の場に出されてしまう、それは排除で、そういうことが起こってくると危惧されています。みんなと一緒に体験することが出来なくなるのです。


 スポーツとか、競争は必要ではないかと聞くと、誰かを蹴落としていく競争は良くない、昨日の自分より今日の自分が良くなる、そういう競争がいい、基本条例だと、他者を意識して競争するようになるという反応でした。競争するとは、どういうメリット、デメリットがあるかなのです。


 障害のある子が普通のクラスに入り、助け合うようになる、授業の支障になっても寛容になるのですが、学力向上だけでなく、教室では他のことも起こっており、それを心配しているのです。競争をどう現場でやっていくのか、水野さん分からないと言われました。


 先生は、基本条例は今ある社会に役立つ人材を育てるもので、今ある社会、政治を変える人材を育てない、共生、みんなが生きていくのが必要と言われました。首長が教育に関与すると、首長が変わると教育も変わる、政治にまずい内容がありそれを解決することが条例案で出来ないのです。普段の学校を経験していく中での、学力以外の、子供に鍛えられる要素が、人格の成長を引き出すのが教育であり、条例に人材はある(言われたことをやるのみ)だけで、教員の競争もする、先生が助け合わなくなる、困った先生にアドバイスをしなくなる(自分の評価を上げるため)、それが子供にとっていいのか、ということなのです。


 平野さん、教育現場の分断を恐れており、評価するのは校長、教頭であり、全部チェックできない、教育現場が政治により左右されないように日本の教育は中立を保つ形なのに(戦前の公民科教育の反省)、それが侵されることへの危惧のコメントがありました。


 以上、大阪府の教育条例の問題点をお伝えいたしました。