昨晩のたね蒔きジャーナル 9/13

9/13(火)

 永岡です、毎日放送たね蒔きジャーナル」、今日も水野晶子さんの司会、毎日新聞ほっと兵庫編集長の平野幸夫さんの案内で放送されました。今日は小出先生は十三でのイベントでたね蒔きはお休み、東北、紀伊半島の被災地報告がありました。しかし、タイガース4連敗、ケタクソ悪い話であり、ラジオでは相手のヒーローインタビューも聞かされる、踏んだり蹴ったりです(泣)。野球に興味のない人、タイガースの嫌いな人はすみません(笑)。水野さんも平野さんもへこんでいました(泣)。


原発報道が少なくなり、たね蒔きジャーナルへのエールも出ています。平野さん、福島に行かれて、人生観が変わる思いであり、日本の秋で異変に気づく、人が少ない、稲穂も福島〜南相馬にはあるのに、飯館村は草ぼうぼうであり、小動物も被曝しているのです。平野さん、小出先生の本、梅田の書店で売れていると言われました。また、野田総理所信表明演説、何をやるかも言っていない、官僚の振り付けどおりのことだと批判がありました。未来に負担を押し付けないと言うものの、今の世代、被災地をどうするのかがないとの声がありました。


 原発関係のニュース、フランスの核事故、フランス当局は事故について、線量計放射能漏洩なしと言っているものの、原因がわからないというのです。だから、心配ないと言われても説得力なしです。廃棄物を処理する溶融路の外が壊れて、周辺住民の避難はなく、学校が児童を屋内避難、近隣国はフランスを批判しています。ドイツは、情報公開が不十分と批判しています。


 那智勝浦に上田アナウンサーがいて、川の増水、山崩れで大きな被害が出て、流木が背丈までたまっている、車がひっくり返っている光景も、先週と変わっていないのです。家も1階が土砂に埋もれている、アスファルトの上に土がたまり、目を開けられないのです。道路も通れるようになったところもあり、重機も入りましたが、土台を作り出しています。固定電話はまだつながらない、携帯もつながりが悪いのです。水、給水率が87%ら回復したそうです。しかし、勢い良く出ない地域もあるのです。浄水場も仮復旧なのです。立ち直るための術がなく、隣近所で協力してやっているのです。


 罹災証明の発行を20日をめどにしたいのですが、具体的にいつ、どれくらい、という話は出ていないのです。これが具体化したら元気が出るのに、と言うことなのです。また、堤防も崩壊し、次が来たらおしまいとの声がある、この後が心配なのです。週末、天気が悪く、不安です。


 宮城県の南、山本町、福島との境に亘記者が行っています。太平洋に面しており、いちご、りんご農家の町です。人口15000人未満、640人も亡くなっています(人口当たりの死者の比率は女川に次ぐ)。


 復興計画の作成(高台移転)を作り、住民の意見を聞いて、山本町ではなく、名取市仙台空港の近く、山本町から車で1時間以上離れたところ)でやり、町の外に避難した人のための説明で、取材は亘さんだけであり、仮設は2年3ヶ月が期限と、生活の問題が出ているのです。


 町長の話で、避難指示が出ているところがあり、9月に解除できたところもあるものの、まだ出ています。堤防が壊れて危険であり、立ち入りに町の許可がいるからです。また、震災後、山本町の外に出た人が多く、1400人が住民票を外に出した、出さずに外に行った人もいて、高台に移転であり、JRの駅が二つあり、これを山のほうに移そうという話で、安全な町を作るということで、防災、レジャー施設、震災モニュメントという話もあるものの、町民の意見も切実であり、何年かかれば戻れるのか、70歳の方、いつ戻れるか、雇用がないと若い人が戻れないという声もありました。参加している人は年寄りばかりであり、自分たちの年齢では街づくりできない、若い人がいないと町を再興できないのです。


 震災でこれだけ犠牲者を出した反省(防災無線システムの整備)も欲しいとのことです。役場の防災無線の塔がさびて倒れて、情報がなく、犠牲者が多く出たのです。沿岸部を防災緑地、レジャー施設にする案も、それで終わってしまい、山本町は暖かいところとするものを作って欲しい、洪水を防ぐためになぜレジャー施設か、という声もありました。皆さん、山本町を愛して、観光客を呼ぶためにどうかして欲しい、山本町は民主的過ぎるとすら言われたのです(神戸では、行政の独裁で復興が強行されました)。


被害の大きさに驚き、過去に何があったか想像のつかない状態であったのです。復興計画が町を二分しているのです。JRの駅を仮でも速く復旧させてほしいというのと、高台にちゃんと復興させて欲しいとの声があるのです。14000人のうち3000人が今の場所で復旧させ欲しいとの署名が出ています。


 この、復旧、復興は、阪神・淡路の経験のある私には切実な思いでした。これを、お伝えいたしました。


小出先生2011/9/13 シアターセブンでの講演から(速報)


 今日小出裕章先生、大阪・十三のシアターセブンで原発事故と、放射能汚染問題に関して講演されました。

http://www.theater-seven.com/b1_110913.html

これ、ニコニコ動画で生中継があり、それを途中まで見て、今回、子供を放射能から守る全国ネットワークの森啓太郎さんとの対話もあり、いずれ完全版の映像がネットに配信されると思いますが、質疑のところから報告します(映像を見返してのものではないため、私の記憶違いによる間違いがありましたらご容赦ください、後日、動画が再配信されたらそれをまた書き起こしします、これは速報です)。


 森さんより、小出先生の、汚染された食物を60代以上の人に食べさせるということ、自分の親に食べさせられるか、今の日本を作ってきた60代以上の人に食べさせられるかについて質問があり、小出先生は、食べないと仕方ない、汚染されていない食べ物はない、選択がないわけで、そして60代以上の人は日本を作ってきたが、同時に原子力を許してきた責任もある、食べざるを得ないとの回答でした。


 また、大人が食べないといけないと言うのは一億層ざんげと同じであり、責任のあるものに責任を取らせるべきとのことに、東電の社員食堂、経産省の食堂には猛烈に汚染されたものを置かないといけない、責任のあるものに汚染物を食べさせないといけないとのことであり、また、小出先生、前の戦争にも関して、天皇にも責任があると発言されました。


 その他、ネットを通しての質問であり、汚染された食物とそうでないものを分けたら、お金のあるものが汚染されていないものを食べ、お金のない、多分に若者は汚染されたものを食べないといけないのではないかとの問いに、そういう矛盾のあることは分かっている、それでも、この日本、いや世界が汚染されており、汚染されていないものを拒否できない状況にあると小出先生答えられました。


 やはり、小出先生の考えは、汚染から逃げられない、それをどう分かち合うか、そして、責任のあるものにどう責任を取らせるかであると思いました。以上、速報でした。