昨晩のたね蒔きジャーナル 5/17

今日も永岡さんがまとめてくださいました。

5/17(火)

 永岡です、毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」、今日も水野晶子さんの司会と、毎日新聞ほっと兵庫の平野幸夫さんの案内で行われました。野球中継延長で1時間20分伸びました(野球は9回にならなくても3時間半で止めろ!)。


 原発事故のニュース、1号機で津波の前に非常装置が壊れていたと、枝野氏、報道で初めて知ったと言うのです!(泣)、保安院に報告を求めていますが、1号機は地震後に非常用復水機が止まり、津波の来る前に地震により壊れたのです。原子炉内圧力の低下を防ぐため、手動で止めた可能性もありますが、3月11日の放射線量は増えており、津波前に圧力容器が損傷していた可能性があります。


 東電はメガフロートに汚染水を入れる予定で、今日やっと福島の小名浜に来ました…清水港を4月5日に出て、港で点検して、今月下旬に福島第1の岸壁に付くのです。すぐ出来る策をやらないと言っていたのに、です。


 東電は工程表の改訂版を出し、原子炉の水棺を断念、水を浄化して循環させる方法にして、6〜9ヶ月の目標は変えていません。メルトダウンが明らかになった+汚染水があるのに、なのに、です(泣)。


 政府も見通しを示し、秋をめどに支払いをして、仮設を12500戸完成させます。


 NRCは福島の非常事態に対する非常体制を終わらせる模様です。スタッフも削減しますが、原子炉が緩やかに安定していると言うからなのです。アメリカ国民への退避勧告の80kmを、東北新幹線東北自動車道OKにしました。


 で、小出先生のお話、原子炉を冷やすのを、水棺ではなく、無理で断念、放射能を含む水を循環させる方法にしたのですが、小出先生のずっと前に言っていた案になり、ばかげた時間の浪費で、水棺が無理だと東電福島の人も、初めから無理とわかっていたのに、なぜ水棺にこだわったのか、理解できないのです。専門家のまともな意見が反映されないのか分からない、汚染水も9万トンになり、ずいぶん前にタンカーと言っていたのに、何もなされず手をこまねいていて、誰が実行しているのか、理解できないのです。


 6月に集中処理施設を作ると言うのを、柏崎に持っていくのと同じだが、6月に作るのは、とてつもない高濃度の汚染水であり、大変な処理施設を作らないといけない、柏崎の正式な処理施設でも処理できない恐れもあり、しかも汚染水は年内に20万トンになり、仮設タンクも間に合わず、地下に染み込み海へ出るのです。新しい工程表は願望に過ぎず、政府が工程表を出せと政治的な産物として出たのではないかと言うことです。


 東電の持つ膨大なデータが出てきましたが、膨大すぎて検討できていない(泣)、1号機の、津波の前に非常用復水機(冷却水を入れる)が動いていたのに手動で止めた可能性、よく分からない、止める理由もない、トラブルがあり自分で止まったのではないか、しかし、これが動いても、電源が絶たれており、原子炉は壊れる運命だったのです。電源なし(ブラックアウト)があれば、原子炉の破壊は必然なのです。


 1号のメルトダウン以外、2,3号機のメルトダウンは、1号機も炉心の半分水があると言ってきて、しかしなかった、2,3号機も水位計を見たら水がなかつた可能性はあるのです。3つのメルトダウンは世界に例がなく、未知の世界であり、圧力容器の底に穴が開いている可能性、炉心に水がないのは、中性子計測系などの、底が抜けている可能性が高く、核燃料が融け出している可能性は、今、分からないのです(今までの計測地が正しいなら大丈夫だが、何が正しいか分からないのです)。今でも、水を流し続けるしかなく、圧力容器の温度計も間違えている恐れもあるのです。信頼性のあるデータが何か、分からないのです。どんな推測も無意味になるのです。


 テニネチウムという放射性物質、3号機の汚染水に出たのですが、普通は問題にならない、モリブデン99が出たときに出る放射能で、原子炉構造物が放射性を受けて出るもので、圧力容器の融けていることを示し、MOXには関係なし、他の原子炉から出る可能性もあります。テクネチウムのことで、圧力容器の、原子炉構造内の損傷の証拠です。


 再臨界の可能性、なぜないかは、沸騰水型で、日本の原子炉は、炉心の形状が正常なときに核分裂して、これが壊れると臨界になりにくくなる、そのため、炉心が崩れると、臨界が起こりにくくなるのです。塩素38のことで再臨界を疑ったものの、これからも、臨界はないと思うが、再臨界完全にゼロとはいえない者の、ゼロに近いと思われると言うことです。


 融け出した燃料、炉心が全て露出していたら、炉心は必ず融けて、厚さ16cmの容器を抜けて、水も漏れる、とけた燃料が格納容器に落ちたものの、そこに水があったはずなのに、「アンパン」、アンコ=融けたウラン、その周りにクラフト状に水が固まっていて、水と接しているところだけ固まり、中が融けている(ここは高い熱を持つ)、この高温部が格納容器に接したら格納容器の外へ出て、その横に4000トンの水があり、ウランと水が建屋に流れてしまうのです。しかし、それでも水は入れないとダメなのです。


 最後のところ、破局紙一重で避けているところは戦慄しました。明日もお知らせいたします。

続いて、たね蒔きジャーナル原発訴訟で唯一差し止め判決を出した元金沢地裁の井戸謙一元裁判長のお話がありました。金沢に近い志賀原発能登半島の西の海岸)の訴訟で、ほとんど門前払い(訴訟の精神を反映していない)の中、2006年に住民勝訴の判決(マスコミもびっくりした)を出した(高裁で敗訴になったものの、予言的なもの)、井戸さんのお話がありました。阪神戦での延長、井戸さんも喜んでいました(笑)。


 福島第1の事故で、判決のために勉強し、志賀だけでなく、いつかこうなると危惧していたが、あれから5年で早かったというお話でした。起こるべくして起こった事故であったということです。


 判決文、外部電源、非常用電源の喪失、配管の破断を具体的に挙げて指摘し、冷却材の喪失、炉心の上昇、最後の砦も失敗、圧力容器、格納容器も放射能を防げないと書いています。炉心溶融メルトダウン)の可能性もあると書いています、5年前です。


 さらに、電力会社が、ひとつひとつが壊れても、一緒に全部ダメになるということは無いと主張していたのを否定、多重防護の破綻を想定していたのです。それが有効ではない、原子炉周辺の住民が許容限度を超える被爆をするという意味であり、井戸さん、これを出すのに、どうしてこれを書いたかは、電力会社は単一故障しか想定していない、しかし、想定していた地震が小さすぎることが前提であり、想定している地震なら単一故障だが、それ以上だと安全ではない(チェックなし)、多重防護の前提が崩れることを示しています。


 平野さん、原子力安全委員会が81年に改定した指針があるのに、それを超えて判断したのは勇気ある判断とし、半年後に、新しい指針を安全委がこれを踏まえて出た(今回の指針はそれすら越えている)こと、書面では、81年の耐震指針は、当時の地震学の最先端であるが、その後地震学は進歩し、阪神大震災を経て、判決の段階では古すぎるとして、当てはまらないと(地震学者のコンセンサス)したのです。


 これから運転する原発の判断であり、20年前の地震学を適用しても、安全ではない、最近の地震学に基づかないといけないと、この判決になったのです。こういう当たり前のことが裁判官ではなかなかでないのです。


 自分の思うところを書くのは、裁判長でも難しいかは、双方の立証であり、原告代理人がちゃんと立証して、その上で公平な目で判断してこの結論しかないと確信して出したのです。誰も出していない判決であり、判決は注目される、法曹界も注目するが、精神的なプレッシャーはあったとのことです。言い渡しは3月16日、1月、2月上旬はプレッシャーを感じ、夜中に目が覚めたこともあるのです。しかし、判決が出来て、これしかないと、判決の中で確信して、落ち着いて判決を言えたということです。


 リスナーの質問、素晴らしい判決だが、それで原発を止めることは可能か(実際は止まらない)について、日本の裁判は三審制で、一審判決どおりではないが、説得力ある判決を書き、上級審にも認められる判決にしたかったのとことです。


 浜岡の停止、総理の要請で止めたのですが、それに法的根拠がないこと、法的には仕方ない、緊急停止の権限はなく、新たな設計指針を作り、それに適合しないという手続きを経ず、やったことで、本当に危ない原発を止めるのは、最後は裁判所(緊急停止の仮処分もある)で、それによる差し止めもあるということです。


 情報の不開示、住民訴訟が数十万件出る可能性もありますが、金沢の判決が住民訴訟の拠り所になる可能性になるということです。住民訴訟に井戸さんが関わることは、何らかの力になりたいということなのです。具体的にどうこうとは決めていないのです。


 歴史的な判断にはプレッシャーもあり、それが裁判官の仕事であり、当時は反原発の世論は高くなく、安全の意識がある中、一部の少数の方が裁判所に持ってきた、少数派の意見でも正しければそれを取るのが司法の仕組みであり、突飛なことをしたとは思っていないとのことでした。


 冷静な判断を取ることは難しいのですが、司法が人の安全を守るために何が出来るかであり、井戸さん、今までとは違うことが出来るとコメントされていました。


 行政訴訟で勝つのは、ラクダを針の穴に通すようなものだと言われますが、井戸さんのような見識ある裁判官がいたら、日本は変わると思われました。夜遅くまでラジオを聞いていて、本当に良かったです。