自然医学

「境地」という言葉の世界を教えてくれたのは、アイヌのシャーマン、青木愛子フチの聞き書き書『ウパシクマ』をまとめた長井博さんだ。
http://jushinsha.com/book/syakai/upasikuma.html

長井さんは78年頃、その当時の医学では治せない(わからない)と言われた病気をフチの自然医学(と呼べるもの)によって瀕死の状態から救われた人で、その後、フチが助産や治療の際に受けるというカムイからの「胸の知らせ」を、なんとか体系化できないものかと、韓国の四象医学や各国の伝承医学を研究し続けている人である。

今はやっているかわからないが、長井さんがだいぶ前にやっていたというワークショップは、草や、野菜などの食べ物をいろいろと口にしてみて「これは体のどこにどのように効くのか」ということを感覚的に理解できるようになろう、というものだったらしい。
そしてその時に「これを続けることで境地を得てもらいたいんです」と言っていたのである。その境地に達せば知識に加えて、理屈ではないフチに降りてくる「胸の知らせ」と同じような直感を感じられるということだ。
僕は長井さんの言うところの「境地」の説明をちゃんと理解しているのかどうかわからないが、そのコンセプトにとても影響を受けて、なるべく多くの神楽の祭り空間に身を置いているのも、それによって何か自分なりに「境地」が得られないものかと、模索を続けているからである。

さて、話は先日の名古屋大学花祭りシンポジウムになるのだが、これは花祭りの存続に危機感を覚えた佐々木重洋教授が中心となって開かれたもので、学問が現場と繋がる非常に有意義で大事な企画である。
そういうシンポジウムなので今回のテーマは「花祭りの発展的継承を考える」ということで、現在、「御園花祭伝承活性化委員会」に身を置く自分として非常に興味をもって聴講しに行ったのであった。

パネリストの発表は研究者のものなので完全に「知の世界」である。一日目は今まで重要視されなかった民家に残る資料(この場合は宗教テクストと呼んでいた)をテーマにしていて、「花祭りが学問的に重要なものであるということを、宗教テクストによっても明らかに出来るではないか」という方向にあったと僕は捉えた。

それは知的好奇心をわくわくさせてくる内容のものではあったが、結局その貴重な宗教テクストを研究してその価値を明らかにすることが、どのように廃絶してしまいそうな祭りを存続させることとつながるのかということが、最後まではっきりしなかったのが物足りなかった。それでいろいろな発言を聞きながら「境地」ということを思い出し、言葉にしにくい感覚のことをまた考えるようになったのである。

僕はその土地、その土地の環境で如何に生き延びるか、自然の不条理を受け入れて覚悟を決め、その上で楽しみを見つけて暮らしていくかという生活の姿は、人々の個人的な、そして共同体としての「境地」がベースになっているのではないかと考えたのだ。よく僕は「ネイティブ感覚」という言葉を使うけれど、それと同じようなものかな。
「境地」はかつてはもっと「本能」だったし、「直感」だったのだろう。そしてその「境地」の中心にあったであろう土着の信仰心を裏付けてくれたり、今まで知らなかったコンセプトで固めてくれたり、また芸能によって楽しいものにしてくれたりしたのが、外から次々と入ってきたテクストを伴った宗教情報だったのでないだろうか。
そしてそれを神仏と共に年に一度確認するのが「神楽」であり、「祭り」なのではないかと思ったのだ。

だから里の人々にとっては新しい「知」は培ってきた「境地」をより豊かにしてくれるものとして貪欲に取り込んだはずである。
学問が大切であることは言うまでもない。でもこれからはテクストに出来ない「境地」も視野に入れていかないと、今回のシンポジウムのような高い志が現場に生かされないのではないかと思う。言うは易しであるが。

僕は学問の世界にはいないけれど、音楽家として大学で授業をしている。後期に一コマだけだけど、それでもやっているのは学生に神楽の現場のビデオを見せることが出来るし、実際に笛や鈴などの楽器を鳴らさせることが出来るし、なによりも中沢新一先生から「学生を神楽に連れてってやってよ」と言われているからである。

学生が民俗学とか宗教学の研究ではなく、祭り空間に身を置き、わけがわからなくても何かを感じ、何かが刺激されればそれはなんらかの「境地」への扉が開かれるのではないかと思っているのだ。

現代日本の都市生活は、言ってみればその「境地」が要らない、なくても生きていける仕組みになっているとも言える。だからゲームとかバーチャルの世界に浸っているのは「境地的感覚」を求めてのものかもしれない。そうだとすると、都市生活での「ネイティブ的な境地」をみんなで作っていけばいいのではないか。
花祭り」はそのためにとてもピッタリの祭りである。「境地」を求める人を増やせば祭りも消えないと思う。

その役に立つかどうか、3月に東京で御園花祭のノンストップ映像記録をノンストップ上映する話が持ち上がっている。去年11月の祭りを撮影したビデオである。祭り空間の再現にはならないが20時間以上にはなるので、少なくとも時間の感覚はわかってもらえるだろう。
決まりしだい、お知らせします。